「暇と退屈の倫理学」と同時に読み始めた「来るべき民主主義」。こちらは哲学書ではなく、副題にもある通り、國分氏自身が小平市の都道建設問題に関わることで疑問を持った、現在の民主主義に対する具体的な提言書のようなものです。
来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題 (幻冬舎新書)
- 作者: 國分功一郎
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2013/09/28
- メディア: 新書
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要点をリストにしますとこんな感じです。
- 小平市は住民の反対を押し切って都道を建設しようとしている
- 日本は民主主義の国なのに住民の考えが反映されない、これは行政が実質的な権力を持っているからだ
- 近代民主主義は、立法権こそが国家主権であり、そこに民衆が参画すればよいと考えてきたが、これは誤りである
- より良い民主主義には、行政権にも民衆が関与できるシステムが必要である
- そのシステムには、住民投票、パブリックコメント、ワークショップ、審議会など複数のチャンネルが必要である
こうまとめてみますとかなり穴の多い論理展開ですが、さすがに國分氏だってそんなことは分かった上でのことでしょう。哲学者といえども現実の行動はいかに常識的かを示すものかも知れませんが、國分氏の頭には「反対、反対だけでは何も進まない」といった行動する提案型の知識人がイメージされているのかも知れません。
その現れであるリストの最後の「複数のチャンネル」という考え方は、ドゥルーズの「制度が多いほど、人は自由になる」から導き出されています。行政にコミットする制度(チャンネル)は、行政権に関与できない現在の民主主義を補完するもので、そのチャンネルが多ければ多いほど行政をコントロールできるということになります。
ただどうなんでしょう、住民投票やパブリックコメントなど國分氏が例としてあげている制度は、法に基づいて行政が運用する制度なわけですから、それで行政をコントロールするというのは無理なんじゃないでしょうか。仮に民衆の自発的な制度ってことになれば、それはほぼイコール革命でしょう。行政権は時々解体しなければ腐敗することはすでに歴史が示していますし、実際、世界のどこかで日々起きていることはまさにこのことではないでしょうか。