伊勢崎賢治「日本人は人を殺しに行くのか」日本は美しく誤解されている

 「武装解除 -紛争屋が見た世界」に続き、伊勢崎賢治さんの現在の考えを知りたくて読んでみました。

日本人は人を殺しに行くのか 戦場からの集団的自衛権入門 (朝日新書)

日本人は人を殺しに行くのか 戦場からの集団的自衛権入門 (朝日新書)

 

言っちゃなんですが、タイトル付けが下手ですね。せっかくいい本なのにもったいない感じがします。「日本は美しく誤解されている」本の中に出てくる言葉ですが、こちらの方がいいですよ。

あまり論理的な文章を書かれる方ではないですし、常に自分の経験がベースになって話が進みますので、解説的な部分では、内容が前後したり飛んだりと結構読みにくいところも多いのですが、 ここぞというところは力も入りかなり説得力があります。

自衛隊には軍法がない

私が強く感じたところは、「安倍内閣が打ち出した集団自衛権の15事例」に対し、ほとんどの事例を個別自衛権で対応できる事例だと論破していくのですが、そのうちの事例7「領域国の同意に基づく邦人救出」に関して、自衛隊は国外で武力行使する前提で作られていないため大きな矛盾を抱えている、それは「軍法」を持っていないことだといいます。(160p)

たとえば、在日アメリカ軍の兵士が公務中に起こす違法行為はアメリカの軍法で裁かれ、公務外は日本の法律で裁くとの取り決め(守られているかどうかは別問題)がありますが、国連PKOを含め紛争地での違法行為は、全て現地の司法から訴追免除を受けているため現地では裁けない、つまりPKOで派遣されている自衛隊が違法行為をしても裁く法律がないということです。

これを読んでまず感じたことは、何と自分自身が平和ぼけしているのかということです。自衛隊が海外で違法行為を、ということ自体がすでにイメージできないのです。ですが、伊勢崎さんは言います。軍事作戦では必ず民間人を巻き込む過失が起きると。

「いや自衛隊は安全な場所に派遣されているからあり得ない」

この言葉をそのまま信じることはないにしても、漠然とそう思ってしまいます。でも紛争地の現実は違うようです。現在、自衛隊は南スーダンにPKO部隊を派遣していますが、伊勢崎さんによると、すでにPKO活動自体が当初の「敵のいない部隊」ではなく、「住民保護」の名のもとに武力を積極的に用いる任務に変質してきているとのことです。(229p)

「世界広しといえども、軍法のない軍事組織を海外に送るのは日本以外にない」

ですから、これからも日本国民が、武器を持った自衛隊員を海外に派遣し続けるつもりなら、集団自衛権の行使容認などという話以前に、自衛隊を軍隊と認め、軍法を持たせるかどうかを、国を挙げて喧々諤々議論しなければいけないでしょう。

と言いつつも、伊勢崎さん自身は軍法は必要はないと考えており、今後すべき日本の国際貢献についても明解に答を出しています。

この件で思うことは、我々はこうしたことに対して教育も受けていませんし、自ら目を閉ざして来たのではないかということです。

日本の軍事力がどれくらいかとランキングを調べてみますと、軍事費で世界6位(グローバル・ファイヤーパワーGlobal Firepower)とあり、これを持ってしても自衛隊は軍隊ではないと言えるはずもなく、やはりもっとよく知らなくてはいけないことですし、メディアもGDPばかりを取り上げないで、こうしたことへもっと注目して欲しいものだと思います。

で、私なりにこの本の要点をまとめますと、

今世界で起きている戦争の多くは集団的自衛権の行使である

1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻も、1991年の湾岸戦争も、戦争の根拠は集団的自衛権の行使とのことであり、2001年のアフガニスタンでの戦争は、 9.11 を「戦争」と見なしたアメリカが個別自衛権を行使し、さらに 「対テロ」に対して利害関係を共有するNATO が集団的自衛権を行使した戦争だと言います。

この時日本は、給油活動という後方支援を行っているのですが、これは NATO 軍の下部作戦として行われたものなんだそうです。

この時点で日本は集団的自衛権の行使を禁じているにもかかわらず、さらに加入してもいない NATO と同様の集団的自衛権の行使として、その戦争に参加していることになるわけです。

いつの間にやら日本(国民)は、無自覚に、一部は自覚的にでしょうが、ここまで来てしまったのです。

アメリカを気遣いつつ勘違いする日本

自衛隊の海外派遣のきっかけとなった「金は出すが汗はかかない」という湾岸戦争のトラウマや「Show the flag」による自衛隊のイラク派遣は、アメリカの意図を読み違えていると言います。

もちろん意図的にこれを利用しようとする勢力がいることも考える必要はありますが、いずれにしても正しくアメリカの意図を把握した上で行動すべきであり、むしろアフガニスタン、イラクと戦争疲れした現在のアメリカは、「日本の戦争に巻き込まれたくない」と考えていると伊勢崎さんは読みます。

安倍首相が出している『この国を守る決意』という対談本があり、その中でこんなことを言っているそうです。

軍事同盟というのは血の同盟であって、日本人も血を流さなければアメリカと対等な関係にはなれない

にわかには信じられないのですが本当なのでしょうか? 時代錯誤も甚だしく、やはり彼の考えていることは「戦前レジームへの回帰」だとしか思えません。

もちろん伊勢崎さんも実際の経験から、 NATO や PKO の統合司令部にはこんなウェットで曖昧な関係は存在せず、合理的な補完の関係にあり、判断は常に主体的であるべきだと批判します。

一度読んでみますか。

この国を守る決意

この国を守る決意

 

ウィニング・ザ・ピープルが今のアメリカの戦略

アメリカはすでにアフガニスタンやイラクでの戦争を総括し、「Winning the war」から「Winning the people」へ政策転換していると言います。アフガニスタンやイラクの現実を見れば誰でも分かることですが、「テロとの戦い」においては戦地において人心を把握しなければ勝利はないということです。

その現れとしてアメリカ軍には「対テロ戦マニュアル」である「COIN(Counter-Insurgency)」があり、勝利のためには、その地に民主「国家」をつくり「国軍」と「警察」を組織し「秩序」を保つことが勝利への道だと考えているということです。

ジャパンCOIN(Counter-Insurgency)を構築せよ

伊勢崎さんは自身のアフガニスタンでの武装解除の経験から、まだ日本の「平和の国」ブランドが通用することを実感し、 この「国家(ネーション)」づくりに、武力を前提としない貢献の仕方があり、それを「ジャパンCOIN」として確立すべきだと言います。

アフガニスタンの武装解除についてはこちらに詳しく書かれていますが、伊勢崎さん自身が主導した日本の非武装での DDR(武装解除・動員解除・社会復帰)が成功し、アメリカからも感謝されているとのことです。

日本は美しく誤解されている 

アフガニスタンの軍閥たちの武装解除が成功した理由のひとつに、地上部隊を出していない日本はアメリカの軍事作戦から独立していると理解されたことにあるといい、アメリカ軍の関係者から「日本は美しく誤解されている」と言われたそうです。

つまり誤解であっても日本の持つこのイメージを利用すべきであり、アメリカに追従するのではなく、日本の特性を生かした主体的な国際貢献をするべきだということです。

日本は国際軍事監視団に手を挙げるべき

アメリカと NATO 軍のアフガニスタン撤退後の国際軍事監視団として日本が手を挙げるべきだと具体的な提言が述べられています。(141p)

日々変化する国際情勢ですのでよく分かりませんが、いずれにしてもアフガニスタンから早く手を引きたいアメリカですし、かと言って撤退後のイラク化が怖いわけですから、撤退後をどうするかは大きな問題だということです。

そこで伊勢崎さんは「美しく誤解されている」日本のブランディングを生かして、アフガニスタンとパキスタンの国境地帯に国際監視団として(多分)自衛隊を派遣し、治安維持を担うべきだと言っています。これがどういう意味を持つものなのか、今の私には判断できませんが、現場を知っている伊勢崎さんの直感的な自信があるゆえのことだと思います。

まとめ

今の日本にとって集団的自衛権の行使を容認することは何の利益も生まない、むしろアメリカの出来ない中立的な立場での「補完」を目指すべきであり、アメリカもそれを望んでいる。これがおおよそ伊勢崎さんの現在の考えではないかと思います。

アメリカにほぼ無条件で軍隊を駐留させている、まるで51番目の州であるかのような今の日本ですから極めて現実的な考えだと思いますし、そこには盲目的にアメリカに追従することへの苛立ちを感じられます。

自民党が憲法改正を具体的に視野に入れ始めているわけですから、九条を聖域扱いにしたり、神学論争のようなものではない議論をしなくてはいけないことだけは間違いありません。