臨時国会開いて突っつかれるより、戦争ごっこやっている方が楽しいのでしょう。
嬉しそうに書いている読売を引用しておきますが、リンクが切れるでしょうからロイターも貼っておきます。
さて、原貴美恵「サンフランシスコ平和条約の盲点」を読む(3)北方領土です。
これまでのまとめ
朝鮮半島、台湾海峡と、1951年サンフランシスコ平和条約締結時の戦後処理を見てきていますが、日本の置かれた状況が随分はっきり見えてきました。当然日本は敗戦国ですので、戦勝国であるアメリカ、ソ連、そして日本に対しては多少影響力は弱いのですが、中国、イギリスの力関係の中で将来の方向性が決定されています。
簡単に整理しますと、
- 1945年2月のヤルタ会談からポツダム宣言、そして日本の敗戦あたりまでは、まだアメリカとソ連の利害対立も表面化しておらず、戦後の世界支配でも米ソ協調路線は志向されていた。
- 敗戦後の日本の体制も、極東の安定化のために非軍事化、民主化を進め、領土も明確に本土四島以外を放棄すると明記される方向性で進んでいた。
- 1947,8年辺りから、米ソ対立が、極東では朝鮮半島をめぐる米ソ対立、中華人民共和国成立、朝鮮戦争と決定的となり、東西冷戦が始まると、アメリカは日本を西側陣営に確保するため、非軍事化民主化よりも、反共防衛の前線として日本を位置づけるようになる。
- 領土処理も、明確な線引きをせず、放棄のみを記載し、その帰属先を明記しない方針がとられた。
ということになります。
千島列島~北方領土
帝国主義化の戦争は領土分捕り合戦なわけですから、まあ当然といえば当然で、ヤルタ会談で日本の領土であった樺太と千島列島のソ連譲渡が約束されています。いくら敗者とはいえ、日本の知らないところで領土のやり取りが約束されるわけですからすごい時代だと思うのですが、日本もそうやって領土を分捕ってきたわけですので、仕方ない時代なんでしょう。
さらにソ連(スターリン)はそれに飽きたらず、どうやら北海道を欲しがっていたらしいのですが、9月2日の降伏文書署名後にも歯舞群島を占領しています。
この記事を書いている目的が領土問題ではなく「なぜ日本はアメリカ追従路線から抜け出せないのか?」ですので、北方領土の帰属について深入りはしませんが、重要なことは、アメリカは、ソ連が北方四島を含め占領している領土を決して手放すことはないだろうという前提で平和条約草案を練っているということです。
また、この時点のアメリカは共産主義のドミノ現象を恐れており、西太平洋防衛戦略上、日本を最前線と想定し、日本の共産化を押しとどめるためにあらゆる手を使っています。たとえば、北方領土について言えば、日本への四島帰属を主張することは、その可能性が全く無いがゆえに「日本人の間でソ連は不評」を買い、「我々(アメリカ)は日本人の間で好意を得」るであろうとの考えもあったわけです。
また逆に、1951年時点ではすでに日米安保条約の合意ができ、日本の西側陣営への取り込みが成功していますので、条約締結後は日本の防衛義務を持つ以上、ソ連との直接対決状態を避けたいとの思惑から、北方領土を餌に日本とソ連との戦争状態を終結させたいとも考えているわけです。
講和会議でのグロムイコ外相演説
ということで、結局他の領土処理と同様に、放棄した後の帰属先を明記せず曖昧にしておく方法が採られました。
第二章 領域
第二条
(c) 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
ソ連はこの平和条約に調印しなかったのですが、修正案を出し、グロムイコ外相が長い演説をしたそうです。その要点は、
- ヤルタ協定で約束された千島、南樺太のソ連割譲が明記されていない
- 台湾や南沙諸島の帰属先が「中国」と明記されていないなど故意に未定にされている
- 沖縄、小笠原諸島の処理(アメリカの施政下に置く)は不法である
- 日本に軍国主義再建の危険がある
- 日米の侵略的軍事同盟参加を規定し、米国の極東軍事ブロックへの日本参加になる
と、まあ、言っていることは正論ですね。
ダレスの脅し(恫喝)
このアメリカの姿勢は、その後しばらくして始まった日ソ平和条約交渉中に顕在化します。
1956年8月、ソ連からの色丹、歯舞2島返還オファーを受諾し平和条約を締結しようとした日本に、当時アメリカ国務長官にあったダレスが「もしソ連に譲歩して国後、択捉を諦めるなら、沖縄に対する日本の潜在主権は保証できない」と脅しをかけてきたのです。
もちろん、日ソ平和条約が結ばれれば、次は沖縄となることを恐れたからです。