荒井晴彦監督、二階堂ふみ主演「この国の空」の原作です。
映画はほぼ原作通りのストーリーで撮られていたようですね。全体的トーンもほぼ原作のものと変わりはありません。
ただ、映画のラストシーンでは、二階堂ふみの芯の強さゆえなのか、監督の演出なのかは分かりませんが、「戦争」への関わりよりも、一人の男をめぐる女性の戦いを予想させる終わり方になっていましたが、原作では、物心ついた頃から「戦争」という環境の中で育ってきた里子であるがゆえの、戦争が終わるよりも市毛との時間をもっと長く持ちたいという屈折した思い、つまり、戦争(具体的には空襲、出征のためいなくなる人々といったこと)は日常的であるがゆえに受け入れられるが、戦争が終われば市毛の妻と子どもが戻ってくるという、近い将来やってくる未来をどう受け止めればいいかといった戸惑いが余韻を持って描かれています。
戦争を実感することのない中で生きている我々にとっては、戦争状態であれば、(映画などで描かれる非日常の恋愛ではない日常的な)愛や恋どころではないだろうと思ってしまいますが、戦争が日常であれば否が応でも受け入れざるをえないわけで、当たり前ですが、そんな中でも人は生きている、そんなことをしみじみと感じさせられる小説でした。
1945年8月に至る半年くらいの東京の話ですので、当然、日々の空襲や近隣の人々の疎開で寂しくなることや苦労して買出しに行く話が続くのですが、奇妙なことにあまり悲壮感は感じられません。物語は里子の目を通して語られていきますので、その里子に悲壮感がないからなんですが、里子自身が語る「物心ついた頃から戦争がある」「戦争しか知らない」といった言葉ゆえに違和感は全くありません。
この年、里子19歳、1931年の柳条湖事件が5歳、日中戦争が始まった1937年が11歳ですので当然といえば当然です。
一方の市毛には、戦争は「死」として意識されているようです。市毛本人の心情が語られるわけではありませんが、里子との会話の中で、自分が丙種でありながら徴兵されるかもしれない怖れや本土決戦の悲惨な想像を頻繁に語り、語れば語るほど恐怖が増すのか、ますます雄弁になっていく様子が描かれています。
結局、そうした市毛の気持ちの高ぶりもあってか、里子も望んでのことではありますが、二人は関係をもつことになります。
作者が意図してのことかどうかは分かりませんが、このあたりの市毛は結構見苦しく書かれています。最後の場面、いち早く戦争終結を知った市毛が息せき切って里子の家に知らせに来るあたりの描写も、市毛の安堵が強く出ています。
一方の里子にとっては、関係を持ったことで市毛への思いはさらに強くなっているわけですから、戦争が終わることよりも市毛の妻が戻ってくることのほうがはるかに重要で憂慮すべきことなのにです。「奥さまとお子さまが戻られるのですね」と尋ねる里子に、いとも簡単に「そうだ」と答え、里子の気持ちなど顧みようともしていない様子です。
といった、男と女の戦争観の違いのようなことが特に印象に残りました。もちろん70年前の男と女という意味ですし、里子の視点で描かれているとはいえ作者は男性ですので、一般化することはできないのですが、里子だけではなく母親と叔母の三人共に実にタフで忍耐強く描かれています。
「永遠の0」などという馬鹿げた(読んではいませんが…)本ではなく、こうした小説がもっと読まれるといいと思います。
高井有一さんは初めてです。1932年生まれとのことですから、現在83歳くらい、「この国の空」は敗戦の年1945年の話ですから、作者13歳ころの話を50歳くらい(1983年)の時に書かれたということになります。物語の時代の反映なのか、何か意図があってなのか、旧仮名使いで書かれています。
ところで、「内向の世代」という言葉があることを初めて知りました。ウィキには、
内向の世代(ないこうのせだい)とは、1930年代に生まれ、1965年から1974年にかけて抬頭した一連の作家を指す、日本文学史上の用語である。
1971年に文芸評論家の小田切秀雄が初めて用いたとされる。小田切は「60年代における学生運動の退潮や倦怠、嫌悪感から政治的イデオロギーから距離をおきはじめた(当時の)作家や評論家」と否定的な意味で使った。主に自らの実存や在り方を内省的に模索したとされる。
代表的な作家は、古井由吉、後藤明生、日野啓三、黒井千次、小川国夫、坂上弘、高井有一、阿部昭、柏原兵三など。大庭みな子、富岡多恵子、上田三四二や、この一派の擁護に回った秋山駿、柄谷行人などの文芸評論家を含める場合がある。
とあります。
高井有一さん、もう少し読んでみようと思います。