加藤典洋著「戦後入門」読後読中メモ(1)は、第一部「対米従属とねじれ」のメモだったのですが、第二部は「世界戦争とは何か」と題され「ねじれ」の原因を探る考察に入っていきます。
結論は、冒頭に、ねじれの原因は「第二次世界大戦という初の本格的な世界戦争であることから、きたもの」と述べられていますが、ことはそう簡単ではなく、この第二部を読みますと、加藤氏の立ち位置がとてもよく分かるところで、望んでかどうかは分かりませんが、右派の改憲論者や押し付け憲法論者を大喜びさせそうな歴史観が披露されています。
アメリカの南北戦争、第一次世界大戦、そして第二次世界大戦の経緯と分析がなされているのですが、ここは読み物としても大変面白いです。
敗戦国は戦勝国の考えになびく、模倣する
- ヴォルフガング・シヴェルブシュ『敗北の文化-敗戦トラウマ・回復・再生』(2001)によれば、戦勝国への迎合は、敗戦国に起きる一般的パターン。
→「夢の国」現象
→「鬼畜米英」から「アメリカさん」への反転 - しかし、戦後の日本とドイツに起きたことは、それが一過性ではなく、国民ごとの戦前と戦後の価値観の断絶であり、不可逆的、永続的なイデオロギー転換。
近代の総力戦~第二次世界大戦の意味
- 「ナショナリズムに熱狂する国民世論」同士の戦いであるため、
- 相手の「悪」を最終的に壊滅させるか、永久的に無害化するしかない。
→無条件降伏という国際法的な手段を逸脱した手法の採用 - 理念・イデオロギーを動員した世界戦争であった。
第二次世界大戦
- 始まりはイデオロギー間の戦争ではなく、国益の争いであった。
- 世界戦争=イデオロギー戦争は、米英二国が戦争遂行のために発明した概念であり、理念=国際秩序を自分たちが体現できれば、国際社会を味方につけて戦争を遂行できると考えた。
→大西洋憲章(1941年8月、アメリカ参戦前、真珠湾攻撃前)
→連合国宣言(1942年1月、3月時点で署名国47カ国、戦後国際連合へ) - 枢軸国である日独伊に共通した大義やイデオロギーはなく、米英、主としてアメリカによって、自由と民主主義の連合国 対 ファシズムの枢軸国というイデオロギー戦争に概念化された。
- 実際は、連合国 対 個別的かつ散発的な秩序破壊的な国々の戦争。
- 当時は、二大対立というよりも三派鼎立の関係といった方が正確であり、ソ連は対ドイツでは連合国に加わりながら、日ソ中立条約を結んでいる。
日本の大義
- 枢軸国にあって、唯一例外的に、理念と国際社会に対して対応を見せている。
→大東亜共同宣言(43年11月) - 12月8日「宣戦の詔書」では、自存と自衛の防衛戦争を主張している。
→日本(大日本帝国)は、東アジアの安定と平和に尽力してきたが、中華民国の蒋介石政権がみだりに平和を乱している。米英は、それを支援し、混乱を助長し、平和の美名の下に東洋を征服しようとしている。この事態が続けば我が国の存続も危機に瀕する。ここに至っては、国家の自存と自衛のために決然と立ち上がり、武力で粉砕する以外にない。(要約) - 12月10日、「大東亜戦争」に名称変更。
→「大東亜新秩序の建設」を戦争目的に加える - 戦争の遂行、拡大につれ、大東亜共栄圏建設が戦争の大義へと変わっていく。
→大東亜会議(43年11月5・6日)
大東亜会議「大東亜結集国民大会」昭和18年11月 Asia & Pacific theatre of World War Ⅱ
再度、第二次世界大戦
- 米英二国によってシナリオを書かれた世界戦争。
- 日本人の多くが、第二次世界大戦を、連合国対枢軸国、自由と民主主義対ファシズムの戦いと見るのは、戦後アメリカが、正しいイデオロギーが誤ったイデオロギーを成敗した戦いだったと再定義(再成形)したため。
- 日本、ドイツの国民は、自分の国が間違ったよくないことをやったとあらためて確認させられなければならなかった。
それはなぜか?
- 大西洋憲章などの戦争理念の劣化を隠蔽するため。
→秘密裏に行われた原爆の開発、製造
→秘密裏に行われたヤルタ会談での領土分割協議 - 原爆投下という人類に対する悪を隠蔽するため。
→国際法的な手段を逸脱した無条件降伏
ニュルンベルク裁判、東京裁判
- 無条件降伏という政策思想に則った新しい国際的な法理関係をつくり上げるための手続きだったのではないか。
- この二つの裁判を経て、連合国対枢軸国という善悪二元論的な再成形が行われた。
- 「人道に対する罪」という概念で裁かれた裁判だが、原爆投下も「人道に対する罪」に該当するのではないか。
- 「平和に対する罪」の概念は、国際社会に対する違法的挑戦の企みであることを立証するために呼び出された概念だが、法的妥当性、普遍性はなかったのではないか。
- 公平ではない裁判。
→異議申し立てを認めない一審制であり、
→判事は全て原告側に当たる連合国から選任されている
→1931年から45年にわたる共同謀議に一貫して関わり続けた昭和天皇の免訴
と、この第二部では歴史修正主義者に利用されかねないような分析が続きます。
もちろん、加藤氏は戦前の日本の行為を批判し否定していますし、客観的に述べようと資料を駆使して分析しているのですが、やはり読んでいて強く感じるのは、現在の日本という「国」の自立心のなさといいますか、何か魂を抜かれたような不甲斐なさへの苛立ちがベースになっているのではないかということです。
結局、加藤氏自身が、対米自立を目指すための論理が戦前的ナショナリズムに接続してしまうというジレンマに陥ってしまっているのではないでしょうか。
この後どうなっていくのでしょう? 次回に続く。