加藤典洋著「戦後入門」読中読後メモ(3)

加藤典洋著「戦後入門」読中読後メモ(2)からの続きです。

戦後入門 (ちくま新書)

戦後入門 (ちくま新書)

 

正直、ちょっと飽きてしまっており、気分転換に他の本を読んだりしています(笑)。長いということもあるのですが、それよりも、もしこれが論文であれば半分の長さで終わっているでしょうし、逆にこれが歴史物語であれば突っ込みが弱すぎて面白くなさすぎます。

加藤氏にしてみれば、ある意味ライフワーク的な本ではないかと思いますので、かなり失礼な言い方ではありますが、最後の章では憲法九条の改正の提言がなされているとのことですので、であるなら、もっと広くアピールする方法で世に出したほうがいいように思います。

なぜ「歴史物語」などという例えを出したかといいますと、これまで読んだところ全体を通してそうなんですが、特に第三部の原爆投下に関わるところは、アメリカへの屈折した思い、なぜ国際法に反する非人道的な原子爆弾を使用したのだという怒りと、かと言って表立って抗議することが出来ない思いが、加藤氏本人に渦巻いている印象です。問題はその思いがどこに向かっているのかはっきりしないということで、はっきり抗議の声を上げればいいんじゃないのと言いたくなってしまいます。

まあとにかく早く読み終えましょう。

原子爆弾と戦後の起源

第三部は「原爆」についての論考になります。原爆開発のマンハッタン計画、それを進めたルーズヴェルト大統領の意図、その死により計画を引き継いたトルーマン大統領の政策、側近たちの覚醒と回心、アメリカ良心の動揺などが様々な文献と加藤氏の推論で語られていきます。

ただ、このパート、読んでいても、なぜかぼんやりしていて、すーと入ってきません。取り上げられている文献や個人の発言がすでによく知られたことなのか、あるいは加藤氏が今回掘り起こしたことなのかよく分からないこともあるのですが、どこか焦点の定まらない映画を見ているような印象です。

結局、加藤氏は、原爆投下についてアメリカを非難したいのだが、声高に主張することが憚れているのではないかとさえ思えてきます。

第三部の後半は、原爆を投下された日本の問題に移り、なぜ非難できなかったのか、あるいは非難の声が打ち消されていったのかを明らかにしようとしています。

ポツダム宣言は無条件降伏だったのか?

江藤淳の無条件降伏論争を引用しつつ、無条件降伏でなかったものが、アメリカにより変質させられたと結論づけています。

つまり、ルーズヴェルトからトルーマンへと引き継がれる無条件降伏政策とは、原爆投下という自分が行おうとしている(行った)ことが不正であるが故に、予め抗議非難を防止するための方策として無条件降伏を準備したということです。

それが形の上で明確になったのが、1945年9月6日、トルーマンからマッカーサーに発せられた大統領通達「連合国最高司令官の権限に関するマッカーサー元帥への通達」ということになります。

第1項「天皇及び日本政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官としての貴官に従属する。貴官は、貴官の使命を実行するため貴官が適当と認めるところに従って貴官の権限を行使する。われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。貴官の権限は最高であるから、貴官は、その範囲に関しては日本側からのいかなる異論をも受け付けない。」(ウィキペディア

この通達の意味するところは、

  1. ポツダム宣言は日本と連合国の間の契約であるはずが、アメリカが一国の意志で、米国大統領 > GHQマッカーサー元帥 > 日本政府という関係を作り出し支配下に置いた
  2. そもそもポツダム宣言は契約ではない(通達の第3項に記載されている)と対等な関係を一方的に否定した

ということになります。

GHQ の言語統制

  • 1945年9月10日、GHQ「新聞報道取締指針」
  • 9月14日、同盟通信社業務停止、GHQ 海外ニュースを検閲
    この頃アメリカで上がり始めていた原爆投下批判のニュースが入ってこない
  • 9月18日、朝日新聞48時間発行停止処分
    占領軍兵士の非行記事掲載
    鳩山一郎談話「原爆投下、無差別都市攻撃を国際法違反と批判」掲載

日本人、日本社会の転向

加藤氏は、この後2日後に再開された朝日新聞は転向したと語り、そこにその後我々日本人に刷り込まれた戦後意識の原型があるといいます。

われわれは、戦争に敗れ、たしかに連合国の市民原則、自由、民主主義の理念に教えられた。『教示され・説得された』。でもそれは『外から』働きかけられての『転換』だけではなかった。つまり、われわれは『敗戦』を通じて、じつははじめて戦争を経験しただといってよい。いかに戦争が悲惨か、また、国家が国民をないがしろにすると、いかに重大な国家による国民の裏切り、背信が起こりうるかを、骨の髄から知った。そういう国民的な共通体験=戦争体験が、同時に『内奥』からわれわれを変えたのである、と。

引用した部分の但し書きをしておきますと、加藤氏はこれを肯定的に書いているわけではありません。これは戦後の日本社会と日本人の「転向」であり、それはアメリカによって意図的になされたと言っているわけです。

アメリカによる日本の思想改造

  • アメリカは原爆投下の犯罪性を認識していた
  • 投下された当事国から道義的、法的、政治的批判が現れることを恐れていた

という意味において、無条件降伏とは、

たとえどのように日本から原爆投下に対する批判が出てきても、それが国際社会にはほとんど有効性をもたず、米国の威信を揺るがさないようにすること、つまり、日本国民を国際秩序の価値観のメンバーから排除すること、いわば、日本を一種の一時的禁治産国とし、彼らから国際社会における倫理的なメンバーシップを一時的に奪うことが、ルーズヴェルトの念頭にある無条件降伏の最終的な狙い、本質でした。

ではどう抗議するか? 

『抗議』が成り立つためには、普遍的な-米国と同じ、というよりまず国際社会と同じー土俵に立たなければならない、同じ『言葉』をもたなければならないのです。

と加藤氏は言うのですが、このあたりが分かりにくく、「加藤氏は同じ土俵に立っていないの? これは誰に向かっていっているの?」との疑問が消えないですね。 

とにかく、加藤氏は続けて、

無条件降伏は、あなた方が信奉する民主原則に照らして、非民主主義的な政策で、よくないのではないか。原爆使用は、あなた方が信奉する戦時国際法に照らして、違法なのではないか。そして、そう「おめず、臆せず堂々と主張する」こと、そのように抵抗することだけが、ここにいう「あなた方」をーあなた方とわれわれをともに含むー新しい「われわれ」に変える唯一の仕方だったのです。

と、あの時(戦後まもなく)いうべきだったと言います。

結局、今、加藤氏を駆り立てているものはこの「アメリカを批判できない無力感」なのでしょう。何度も言いますが、加藤氏は影響力のある立場にいるのですから遠慮なく批判すればいいわけですし、回りくどく言わなくても正面切って批判すればいいじゃないでしょうか。

この後しばらく、原爆死没者慰霊碑「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」を象徴的に取り上げて、この言葉の裏にある「絶対平和主義」批判が続きます。

相当面倒くさい本です。加藤氏は一体誰に何をしろと言っているのでしょう?

この先これに対する答えは出てくるんでしょうか? 続く