以下、何の内容もない文章です(笑)。
阿部和重さん、初めてじゃないよなあ…と、『グランド・フィナーレ』を読んだような気になっていたのですが、『ニッポニアニッポン』と合わせて三冊で「神町サーガ」と呼ばれているようなのに、全く思い当たるような箇所もありませんから、これは読んでいないですね。
で、今3/4くらいの所まで来たのですが、もうやめようかな(笑)。
ウィキペディアには、ガルシア・マルケスの影響だの、大江健三郎や中上健次と並び称されるだのと書かれていますが、いやあ~、そりゃ無理でしょう(笑)。言っちゃなんですが、神話性に乏しく、土着性もないですし、時間が静止していますし、結局そうしたこと故に登場人物に奥行きが感じられません。
やっとのことで3/4まで読んできても、神町の拡がりが全くイメージできず、一体どれくらいの町なのか分からないままです。
もちろんすべて私には、という意味ですが、それにしても出てくるやつ出てくるやつ碌でもないやつばかりで、もちろん、意図してそうなんでしょうが、殆どのシーンで殺人、盗撮、ドラッグ、小児性愛者などなど人間の欲望が露骨に語られます。いやいや、人間の欲望なんて言い方はある意味嘘っぱちで、そうした欲望を持つ人間が自分を正当化するために人間にはそうした欲望があると言っているだけとも言えるわけで、まあ個人的感覚で言えば、この小説の登場人間たちは皆とにかく鬱陶しく面倒くさく、どうでもいいんじゃない?と思ってしまいます。
何を書こうとしているのか、今のところよく分からないまま、挫折寸前です。
物語は、阿部和重さんの故郷でもある山形県東根市神町を舞台にしており、最初に、戦後のどさくさ紛れに町を牛耳ることに成功した田宮家と麻生家の話が語られ、そして時は流れて現代、彼らの子や孫の時代のえげつない話が、実はさほどえげつなくなく、割と皆せこいじゃんみたいな感じで、群像劇のごとく語られていきます。
たしかにたくさんの人物が登場しますが、何と言いますか軸がない感じで、群像劇と言うには平板な感じがしますし、重層的な人間関係はあまり感じられません。
とまあ、ただこう書いていても、あんた嫌いなだけでしょと言われかねない、何の批評にもなっていない、ただ止めるための言い訳を書いているようなものです(笑)。
でも、ふたたび読み続けてみるか程度の活力は復活できたようにも感じます。