不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか (講談社現代新書)
- 作者: 鴻上尚史
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/11/15
- メディア: 新書
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日本人に共通する死生観というものがあるのか、特攻隊と聞きますと純化された死のイメージが強く、なかなか「戦争」という現実の中で語ることができずにいるような気がします。
この本は、佐々木友次さんという、特攻隊員として9回出撃し9回生きて帰ってきた方を描いています。鴻上氏は、この本をノンフィクションと位置づけられているようですが、劇作家ですので会話形式が多用されており、かなり創作されている印象を持ちます。ただ、作りものという意味ではなく、物語化されているというだけの意味で、実際、鴻上氏は、佐々木さんが亡くなられる直前の2015年10月に札幌の病院を訪ねてインタビューをされており、この本には、その内容も収録されています。
鴻上氏の意志としては、佐々木さんという存在を通して、特攻隊というものに、命令した側、命令された側という視点を持ち込み、「死」というあらゆるものを「無」にしてしまう幻想からではなく、「戦争」という現実の中で捉えなおそうとしたのだと思います。
佐々木さんは、その時21歳、戦後は、生まれ故郷の北海道当別に戻られ、2016年2月9日、92歳で亡くなられています。
私自身は特攻隊というものにあまり興味と言いますか、何らかの感情をいただくこともありませんし、知ろうと思ったこともありません。そんな私でも、最初に書きましたように、なぜだかイメージとしては「美しい死」という言葉が重なってしまいます。
それがいったいどこから来るのか、おそらく子供の頃に見た(だろう)テレビドラマや、あるいは読んだ(だろう)少年雑誌などからの刷り込みじゃないかと思います。
鴻上氏によりますと、
『神風特別攻撃隊』という戦後、ベストセラーになった本があります。大西瀧治郎中将の部下であり、海軍の特攻を命じた中島正、猪口力平の二人が書いたものです。
英語にも翻訳され、世界に「カミカゼ」のイメージを伝えました。「積極的に自分から志願し、祖国のためににっこりと微笑んで出撃した」という、今も根強いイメージです。
とのことであり、もしその通りなら、そうした「命令した側」からの作られた物語によって美化されたものなのかもしれません。
実際、この本の中にはもっと現実的な問題、つまり、体当たり攻撃に効果がないこと、例えば、
イギリスの小型旧式空母ハーミスは六十数発の爆弾を受けてもすぐには沈まなかった。アメリカ正規空母ホーネットは、9発の爆弾と3本の魚雷でようやく傾いた。
といったように、艦船を飛行機で沈めることがどれほど難しいかといったことや、隊員たちが、飛行機乗りとしてのプライドを持つがゆえに戦術に対する疑問を持っていたことが書かれています。
「命令される側」の視点は、実はかなり現実的なものだったということです。
とは言っても軍隊です。「命令された側」は従うしかありません。佐々木さんは、陸軍航空隊万朶隊(ばんだたい)の一員として出撃します。1944年11月12日のことです。
ところで、特攻隊と言いますと、零戦など戦闘機が爆弾を抱えたまま突っ込んでいくのだと思っていましたが、それは海軍の方で、陸軍は九九式双軽という爆撃機を使ったそうで、銃火器を取り外して800キロの爆弾を積んでいったといいます。丸腰ということになり、さらに通常は550キロが最大定量ということですので、そもそもそんな飛行機で敵機の間をくぐり抜けて艦船に近づくことが出来るのか、素人でも首をひねってしまいます。
で、佐々木さんの最初の出撃は、戦果ははっきりしていませんが、とにかく爆弾を投下して帰還されています。
ところが大本営は、万朶隊の戦果を「戦艦一隻、輸送船一隻を撃沈」と発表、新聞も大々的に報じています。「佐々木伍長操縦の四番機は戦艦に向かって矢の如く体当たりを敢行して撃沈」とあります。
話はそれてしまいますが、人間って時と共に賢くなっていくものだと漠然と考えてしまいますが、現実をみますと、そんなことはまったくなく、たとえば、戦前も今も人間は何も変わっていない、賢くなっていないということがよくわかります。
「大本営」を、「安倍首相」「菅官房長官」に変えれば今も同じことです。発表された情報が検証されて記事になっているとは思えないですね。堂々と公文書が改ざんされていることがわかっても、まだ信用しているんでしょうか。やっぱり人間賢くなっていないですね。
佐々木さんの話です。
2回目の出撃は11月15日、帰還して2,3日後ですね。要は、「命令する側」としては、「死んでこい」ということです。大本営発表ということは上聞(天皇に報告したということ)されたということですので、生きていてもらっては困るということです。
しかし、2回目は、本の中でもよくわからないのですが、敵艦に遭遇できずということなのか帰還されています。
3回目は11月24日、出撃直前に空襲にあい、出撃できずに終わります。4回目は11月28日、ただ一機(護衛機は別)での出撃だったと言います。これもよくわからないまま帰還。5回目は12月4日、帰還。そして6回目は12月5日、大型船を撃沈し帰還。
そして2度めの戦死発表。
12月14日、7回目の出撃、 機体の整備不良で出撃できず。翌15日、8回目の出撃命令。18日、9回目の出撃命令。いずれも戦果なく帰還しています。
ということで、なぜ佐々木さんがこういう人生を辿られたかは、この本を読んでもよくわかりません。ただ、インタビューを読む限り、すでに92歳ということもあり、70年前を振り返ってのことですので、その時の感情そのままではないのでしょうが、「志願」であるとか、「〇〇いってきます!」といったような美化されたものではなく、大きな時代の流れの中にいたことの結果でしかなく、今の我々もそうですが、一体、今自分がどこにいるのかなんてことはそうわかるものではなかったということでしょう。
いずれにしても、望んで死んでいった人はひとりもいないことだけは間違いないとは思います。
佐々木さんの話とは離れてしまいますが、この本を読んで感じることは、戦前は今とは違う時代であったなどという感覚は間違っているということで、たとえば、戦前、日本中が集団催眠にかかっていたような、国民皆洗脳されていたような、そんなことではなく、今と同じように、なんとなく変だな、これでいいのかなと思っていた人もたくさんいて、それでも、何となくあの戦争に突っ込んでいってしまったのではないかということです。
さすがに現代では即戦争ということはないのでしょうが、国中が、見たくないものには蓋をして、目をつむり、耳を閉ざして、心地よい囁きにまどろむ、やっぱり人間70年経っても賢くはなっていないようです。