タイトルや本のカバー写真からはかなり古さが感じられますが、昨年2018年7月に出版された本です。
本の紹介文を発行元の講談社から引用しておきます。
私の使命は、昭和前期から無謀な戦争に突入し、悲惨な敗戦を迎えるまでの記録と教訓を、次世代に繋げることだと考えている、と筆者は言う。これまで40年以上にわたる近現代史研究で、のべ4000人から貴重な証言を得てきた。本書でも紹介する東條英機夫人。秘書官・赤松貞夫。石原莞爾の秘書・髙木清寿。東條暗殺計画の首謀者・牛島辰熊。2・26事件で惨殺された陸軍教育総監・渡辺錠太郎の娘、和子。犬養毅首相の孫娘、道子。瀬島龍三本人。吉田茂の娘、麻生和子などなど。その証言と発掘した史料により筆者は多くの評伝を書いてきたが、そこに盛り込めなかった史実からあらためて「昭和の闇」を振り返る。とくにこれまで一冊にまとめられていなかった石原莞爾については、はじめての原稿となる(初出は「サンデー毎日」)。(講談社)
保阪正康さんといえば、昭和史、特に太平洋戦争前後に関する著作や発言が多い方ですが、この『昭和の怪物 七つの謎』も東條英機、石原莞爾、犬養毅、渡辺錠太郎、瀬島龍三、吉田茂に関することを「〇〇は…いたいか」といった七つの疑問系タイトル(章)で書いています。
ただ、「七つの謎」などといったはっきりした問題提起はありません。
保坂さんというのは取材(関係者へのインタビュー)を重要視される方のようで、上の引用にあるように40年にわたって蓄積されてきた取材データに基づいた再構成版の著作のような印象の本です。ですので、一冊の本としてのまとまりはなく、それに五・一五事件から戦後の講和条約あたりまでテーマが広範囲にわたっていますので、全体として見えてくるものはあまりありません。
とはいっても、取材相手が東條英機の側近(著者による)であった赤松貞夫氏や石原莞爾の秘書兼ブレーン(著者による)であった高木清寿氏への取材を軸に書かれている太平洋戦争開戦あたりの記述には引き寄せられるところも多いです。
実際、この本の半分は東條英機と石原莞爾に割かれています。ですので、後半の五・一五事件で犬養毅が暗殺される現場に居合わせた孫娘の犬養道子氏、そして二・二六事件で殺害された渡辺錠太郎の娘渡辺和子氏の部分は事件の目撃者の話としての重みはあっても、一冊の本としてはおまけ的な印象がします。
で、東條英機と石原莞爾です。あらためても、あらためなくてもですが、考えてみれば、日本が太平洋戦争に至った経緯など、昭和の前半のことをあまり知らないことに自分ながらびっくりします。
東條英機と聞けば、著者自身も冒頭に書いているように「悪魔のような存在として印象づけられて」いますが、実際にどういう経緯で開戦にいたり、誰がどう考えても勝ち目のない戦争を4年(日中戦争を除く)も続けたのかについて知っていることはほとんどありません。石原莞爾にいたっては、名前だけは聞いたことがあっても、どういう人物で歴史の中でどういう役割を果たしたのかも知りません。
これを機会にいろいろ読んでみようとは思いますが、まずはこの本から感じたことは、著者の東條への反感と石原への傾倒(的なもの)です。
東條英機については、昭和13(1938)年5月の陸軍次官就任あたりの記述(13p)が典型的で、
東條が表舞台に出てくることになって、陸軍の政治態度はあまりにも偏狭になっていく。とにかく強引で、自分に都合のいい論理しか口にしない。相手を批判するときは、大声で、しかも感情的に、という東條の性格は、はからずも陸軍そのものの体質になっていったのである。
と書き、赤松貞夫氏へのインタビューを引用して、
大日本帝国の軍人は文学書を読まないだけでなく、一般の政治書、良識的な啓蒙書も読まない。すべて実学の中で学ぶのと、「軍人勅諭」が示している精神的空間の中の充足感を身につけるだけ。いわば人間形成が偏頗なのである。
と断じています。
一方の石原については、いきなりその章の冒頭で(50p)
昭和期の軍人の中では、石原莞爾という人物は、「特別の人」である。
まず第一に軍人として戦後になって著作集が刊行されたのは、この人だけである。次に戦略思想、戦争学、あるいは歴史観を明確に理論づけたのは、やはりこの軍人だけだ。
と書いており、全くその評価が対照的です。
本は読まないよりは読んだほうがいいとは思いますが、著者の人物評価に本を読むことを含め知的であるかどうかが大きく影響するということでしょう。
この二人、実際、水と油的な関係だったようです。昭和12年9月に石原が関東軍参謀副長に就任(著者は左遷としている)したときの参謀長は東條だったそうです。この時、石原は日中戦争の不拡大を主張していたとのことですので、その後の東條の出世をみればかなり意図的な人事だったことはわかります。
二人は関東軍では隣り合わせの部屋で執務しており、当時の部下泉可畏翁へのインタビュー取材を引用して、
関東軍の参謀たちの起案した書類をまず参謀副長の石原のもとに持っていくと、石原はそれを丁寧に読み、鉛筆で推敲していく。すると、それらの起案文書はたちまちひとつの意思を持つことになったという。
(略)泉はそれを東條のもとに持っていく。(略)
「東條さんは真っ赤な顔をして、石原さんの書き込んだ部分を消しゴムで消すんです。(略)人物の器の違いが出ていましたね」
と書いています。
著者の認識としては、「東條は石原を恐れていたのである」ということです。
といった感じで、石原莞爾への高評価が続くのですが、ただ石原莞爾といえば関東軍の陰謀「柳条湖事件」の首謀者ですからねえ。
いずれにしても興味がわく人物ではあります。この本の中にも概略が出てくる『世界最終戦論』、このイデオロギーに基づいての柳条湖事件、満蒙領有計画だったとのことです。
『世界最終戦論』とはどういう考えかといいますと、その概略は、
- 「世界戦争」をもって人類は戦争と別れを告げる
- その戦争で国家がなくなる、世界が一つになる
- まず、世界は4ブロック、ソビエト連邦、アメリカ中心の南北アメリカ、ヨーロッパ、そして東亜の連合体に分かれる
- これは準決勝で、ヨーロッパ、ソ連は自滅し、決勝戦は東亜と米州になる
- そして、その後世界は安寧の空間になる
という筋書きで世界には平和か訪れるというものです。著者によれば、石原は日蓮宗の熱心な信者だったそうで、それがかなり影響していると言っています。
この論でいう決勝戦が東亜と米州ということでいけば、当然当時も、太平洋戦争がその最終戦争なのかと尋ねられることがあったでしょう。
それに対してははっきりと違うと答えているようです。
今から考えれば、この理論の幼稚さはいうまでもありませんし、この考えがどの程度支持されたものであるかもわかりませんが、ユートピアを目指す考えであるとはいえ、それに基づいて起こした柳条湖事件がその後の日中戦争、そして太平洋戦争へと拡大していったことを考えれば、たとえその後日中戦争の不拡大を唱えたとしてもかなり罪深いものだと言わざるを得ません。
まあもう少しいろいろ読んでみましょう。
で、この本のまとめとしては、歴史を正しく評価することは非常に難しいということで、たとえば歴史上のある事件があったとして、その真実を知ろうとする場合、その事件に関わった人物の証言というのは重要視されてしかるべきだとは思いますが、人間って、基本的には視野を広く持つことができない存在ですので、深く入り込めば込むほど真実から遠ざかるという傾向があります。
保坂氏がそうだと言おうとしているわけではなく、そうした徹底した取材に基づいて得た情報から、当事者ゆえに起きる事実認識の歪みを何によって補正するかだということで、そんなこと言われるまでもないことでしょうから、そうした著作が他にあるのだと思います。