この『帝国化する日本』というタイトル、仰々しいだけに、あえて今の日本を批判的に批評する内容かと思いましたら、副題にもあるように明治から大正にかけての国家教育の変遷を事細かに論じた本でした。
出版元筑摩書房の紹介文を引用しておきます。
日清・日露戦争に勝利した日本は帝国化に向かうべく、また青年層の贅沢化と個人主義化への懸念を払拭するために、国民教育における愛国教育を推進した。それはやがて妄想レベルにまで進み、三つの象徴的事件―哲学館事件、南北朝正閏論争、進化論問題を引き起こす。これらのスキャンダルから、明治初頭の実学優先・合理主義の教育が教養・精神主義に転換し、国家と天皇の神聖化、帝国神話強化に向かうメカニズムを解読する。教育の右傾化が危惧される今こそ必読の一冊。(筑摩書房)
著者の長山靖生さん、プロフィールを見ますと開業医で歯学博士とのことなんですが、文芸からSF、そしてこの歴史(政治?)本までむちゃくちゃ守備範囲の広い方ですね。
それにこの本、ひとつひとつのテーマについて、まるで専門の研究者のごとくかなり細かく記述されています。当時の記録文書や新聞報道から時系列で掘り起こしたようにもみえます。
主に「哲学館事件」「南北朝正閏論争」「進化論」を章立てして扱っているのですが、たとえば、哲学館事件について
哲学館は明治二十年に井上円了(1858~1919)が創設した学校だった。
円了は新潟に真宗大谷派・慈光寺の跡継ぎとして生まれ、幼い頃から修行を積んだ。(66p)
から始まり、
彼自身が仏教に対して疑問を抱くようになる。そのため儒教やキリスト教なども学んだが、いずれにも満足できず、明治十四年に東京大学文学部哲学科に入学して、自分が求めてきた真理の探求は、信仰ではなく哲学によって極めるべき対象であると考えるに至った。
と、本人の心情にまで踏み込んでいるということは、本人の自伝でも読んでいなければ書けないことですのでかなりの文献を(多分)検証しているのでしょう。
といった感じで相当に事細かに書かれています。
ただ、本題である「帝国化する日本」という核心まで迫れている感じはしません。まとめとして第五章「若旦那世代の欲望ー贅沢化と日本回帰」があり、それまでに述べてきた「明治の教育スキャンダル」によって次のような変化が起きていたとまとめています。
- 義務教育課程では教科書が検定制から国定教科書へ移行し、政府の意向がより直接的に反映されるようになる。
- 高等教育でも、国家、天皇への反逆を可とするような思想(ホッブスやロックらの契約国家説、特に暴政下での革命権)の教育は禁忌とされる。
- 歴史教育では「史実としての正しさ」よりも「道徳的正しさ」を優先されるようになり、忠臣、逆臣といったレッテルが強化される。
- 科学教育でも国民道徳への配慮が図られる。
(196p)
まあそうなんでしょうけど、まとめとしてはどこかしっくりきませんし、この第五章はそれまでと異なり著者の分析や考え方が書かれている部分なんですが、正直言いたいことがいまいちよくわかりません。
上記まとめのような教育の変化、つまり政府がなぜそのような教育改革を行おうとしたのかとの理由に、日本が「一等国」して認められた契機となった日露戦争(1904,05)あたりからの国民、特に若者の変化を上げています。
それを、徳富蘇峰の『大正の青年と帝国の前途』からの引用で、当時の若者を「模範青年」「成功青年」「煩悶青年」「耽溺青年」「無色青年」と分類し、まとめて「金持ちの若旦那」と評しています。おそらく引用というよりそのままでしょう。
著者は当時の文芸書をたくさん読んでいるのでしょう。何人かの文学者を引用して「一部の文学者たちの日本回帰がはじまる」とも述べています。
ということで、まとめであるべき第五章が文芸論のようなものになってしまっており、尻切れトンボのような印象で終わります。
ただ、あとがきに
民衆は戦争の犠牲者だが、同時に戦争に反対し難いような「空気」を醸し出した張本人になっていく。心の中で不安を感じる瞬間があったにしても、表に出れば提灯行列に参加し、出征兵士に旗を振り、新体制だの国民総動員だのに批判的なものを「非国民」と罵った。そうしたことに疑問を感じなかった。
とありますので、著者の意識がそのあたりにあることはわかり、できれば、なぜそうなったかのメカニズムがもっと解明されるような内容であったならとは思います。