小石清写真集『初夏神経』と『半世界』

阪本順治監督の映画「半世界」を見て、小石清さんという方はどういう作品を残しているのだろうと興味がわき、図書館で写真集『初夏神経』と『日本の写真家15 小石清と前衛写真』を借りました。

映画の感想はこちら。

movieimpressions.com

借りた本はこちら。

初夏神経 (日本写真史の至宝)

初夏神経 (日本写真史の至宝)

 
日本の写真家〈15〉小石清と前衛写真

日本の写真家〈15〉小石清と前衛写真

 

小石清さんのウィキペディアはこちら。

小石清 – Wikipedia

『初夏神経』

「日本の写真史の至宝」という復刻版のシリーズの一冊です。冒頭の画像のように箱に入っています。写真集の作りは表紙と裏表紙がジンク版(亜鉛板)になっており、リングで閉じられています。オリジナルの発表は1932年、翌年に写真集として発売されています。

アヴァンギャルドということになるかと思いますが、とにかくいろいろな実験的な表現手法が使われています。

写真集の中を撮ることができませんが、一部は Google検索の画像で見られます。

10作品がおさめられており、そのすべてに印象的な詩が添えられています。

まず、冒頭、巻頭言的に

僕の若さの中に
僕の肉體の中に
僕の太陽は棲む

とあり、その後一作品ごとに

1 誘惑・鐵の情熱

とタイトルがあって写真が続きます。

たとえば、冒頭の画像の箱にある目の写真には、

8 自己凝視・ひしひしとくひ入つてくるもの

とタイトルがあり、その作品に対し、

僕は僕の掘りつくされた感情の坑道の
前に立って
胸の中に急速に崩壞する僕をきいた
視覺の放縦とその感情の精算−−
凝視−−
僕は新しく發生するものに身慄ひを感ず
るのだ 

の詩とその表現形式が記載されています。

この印畫は友人の眼を接近してフラッシュランプにて撮影す
その原板を釘にて割り、そのまゝ引伸す、乾板はイーストマン40番である

『半世界』

こちらは写真集としての出版はなく、1940年に浪華写真倶楽部展で発表されたとあります。

小石清氏は、1938年に雑誌『写真週報』(内閣情報部)の写真担当となり、内閣情報部海軍省の委嘱で11月から3ヶ月間中国に従軍しており、その時に個人的に撮ったものを『半世界』という連作で発表したようです。

『小石清と前衛写真』の中に10作品紹介されています。東京写真美術館のデジタルコレクションで見られます。

洪水

捨てられたのか、本当に洪水によってそうなってしまったのか、人力車の車輪半分くらいが水に浸かって傾いている姿を後ろから撮っています。遠くには廃墟がみえます。実際に洪水の後なのでしょう。哀感が漂っています。

戦勝記念物

木炭自動車でしょうか? 次の写真とあわせてみるとなんとなくニュアンスが分かります。

肥大した戦敗記念物

舞踏・インフレーション

二重露光?

世紀への記念塔

一瞬、髑髏? とドキッとします。

その他、TOKYO DIGITAL MUSEUM で『半世界』の10作品などが見られます。

戦後はあまり作品が残せなかったようです。そして最期は、「1957年、門司駅構内での転倒で頭を打ったことが原因で7月7日に同市の病院で死去した。小石は酒好きだったためにメチルアルコールに手を出して視力を悪化させたのが事故死の原因だといわれている(ウィキペディア)」とのことです。

アサヒカメラ 2019年 03 月号 [雑誌]

アサヒカメラ 2019年 03 月号 [雑誌]