「財政赤字は悪でも脅威でもない」MMT提唱の米教授:朝日新聞デジタル
「れいわ新選組」の山本太郎さんが注目されていることと連動して、にわかに反緊縮、MMTの話題が目立つようになっています。提唱者の一人、ニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授が来日し講演をしたようです。
MMTとは何か、経済理論は難しいところもあるのでしょうが、日本の現実に当てはめれば、日本は自国通貨を発行しているので、インフレ率を、たとえば目標を2%に設定するのであればそこに達するまで赤字国債を発行して財政支出をするべきだという反緊縮経済政策を推奨しているようです。
そのMMTを日本で提唱している松尾匡さんの『これからのマルクス経済学入門』を読んでみました。ここには直接的にMMTの話は出てきません。マルクス経済学の基本理念である「階級」「疎外」「労働価値説」「唯物史観」を現実に即して説明しようとしている本だと思います。
わかりやすいかと言いますとそういうわけでもなく、言葉は平易でも、何となくすとんと落ちてくるものがなく、個別のことが全体に広がっていく感じがしなく、かなり見通しが悪い印象で、早い話、読み進めば進むほど理解が遠のいていくという感じです。私のせいかも知れませんが…。
ただ、「階級」の章はわかりやすいです。
階級とは、つまり世の中を「ヨコ」に切って見るということであり、古典的な見方で言えば、資本家階級と労働者階級に分けて世の中を考えるということになり、そうした世の中の見方をするのが「左翼」と呼ばれ、もう一方の「右翼」は、世の中を「タテ」に切って見ていると言います。「タテ」とは、民族や国家などのアイデンティティで世の中を見る見方です。
この表現が松尾氏のオリジナルなものかどうかはわかりませんが、なるほどねという感じがします。日本の場合で言えば、高度成長期からバブル期の「一億総中流」という時代を経て、世の中をヨコに見る意識が希薄になり、その後の失われた20年、30年の喪失感を埋めるために世の中をタテに見る意識が強まってきたというのが現在ということになります。
同時にヨコ軸が見えにくくなっているとも言えます。高度資本主義社会になり、資本家にしても、労働者にしても、古典的な概念ではとらえきれなくなっています。
そのあたりはこの本よりも、橋本健二さんの『新・日本の階級社会』を読んだほうがいいです。
話は戻りますが、このMMT、どうなんでしょうね? 実際、こういう理論というのはやってみないとわからないとは思いますが、ただ、そこに人間が絡みますからね。はたして人間にコントロール可能なものかということです。人のマインドというのはなかなかコントロールできないですし、コントロールできちゃったら、多分その時はその国の崩壊の始まりなんじゃないでしょうか。それに、コントロールする側の人間が、言っちゃなんですが、財務大臣、あの麻生ですよ。日銀総裁、あの黒田ですよ。間違いを認められない人間が何かをコントロールするなんて悪夢です。