吉田修一著『愛に乱暴』感想、レビュー、書評、ネタバレ

映画「湖の女たち」を見た際だったと思いますが、その『湖の女たち』だけではなく『国宝』『愛に乱暴』と続けざまに吉田修一さんの小説が映画化されることを知り、しかしながら『愛に乱暴』という著作があることを知らなかったものですから早速読んでみました。

昼メロ風ドロドロ愛憎劇か…

国宝』や『湖の女たち』、それにちょっと古いところでは『怒り』といった、それなりの大作に比べますと内容的(あくまでも内容的に…)にはこじんまりした小説なんですが、こういう作品にこそこの作家のうまさがよく現れています。

ただ、いやーな感じが募るうまさですので気をつけましょう(笑)。

主要な登場人物はわずか4人です。物語もせまい家庭内、家族内の話です。設定自体は、その昔には「昼メロ」と呼ばれていたドロドロ愛憎劇を思わせるものなんですが、これがまったく違って、あ、いや、違っていないですね、やっぱり現象面はドロドロです(笑)。修羅場もあります。でも、それが愛憎から発しているわけではなさそうだとみせることがうまいということです。

桃子(映画では江口のりこ)は専業主婦です。夫、初瀬真守(小泉孝太郎)はかなりの旧家の跡継ぎで、二人は両親が住む母屋の離れで暮らしています。その真守が浮気をし、その相手の女性との間に子どもができ、離婚を言い出します。しかし、桃子は受け入れません。最後には、桃子は真守に、あなた達は一緒に暮せばいい、私はこの離れをもらうと宣言します。

たしかにこれだけですと昼メロ、今は昼ドラと言うようですが、そうしたかなり下世話は話になりそうなところを、この作家はここに旧家の三代にわたる愛憎劇(ちょっとオーバー…)を、それも桃子の衝撃的な行動によってよみがえらせることで家制度と女性への抑圧という現代的テーマを浮かび上がらせるのです。

ただ、作家にはその気はないかも知れません(笑)。

不倫日記は誰のもの…

最初のパートは女性の日記で始まります。男のことを初瀬さんと書く真守と不倫関係にある女性の日記です。続いて、三人称記述の桃子視点のパートになり桃子の日常生活が綴られていきます。そしてもうひとつ、一人称記述の桃子のパートがあります。この3つが混在した状態で進みます。

わりと早い段階で桃子は真守の不倫に気づきます。決定的なのは、無言電話があり、かすかに男の声が聞こえ、それが真守の声だったからです。その夜、真守は桃子に話があると言い、あいつが何を言ったか知らないが、悪かった、別れるからと言います。桃子は、なら今すぐ電話してよ、その人、あなたに嘘ついたのよ、あなたになんて言ったか知らないけれど無言電話だった、あなたが言わなければ私は何も知らなかったとちょっと複雑な嘘をつきます。

で、その次のパートは女性の日記になります。その女性は、ちゃんと話すからという初瀬さんに不満をつのらせ、自分の存在を初瀬さんの妻に知らせたかったからと書き、自分と初瀬さんには愛があるが相手には妻という形式上の立場しかないと自分を優位な立場に置こうと日記に記します。

この日記、真守の今の不倫相手だと思いますよね。違うんです。この日記も桃子のものであり、実は桃子自身も真守に妻がいるときに付き合い始め、真守の離婚によって結婚することとなり今の状態にあるのです。不倫状態の不安を語る日記は桃子の過去の日記であり、桃子の一人称記述のパートは桃子の現在の日記ということなんです。

つまり、この小説は3つの記述スタイルを取ってはいるものの全て桃子の行動や桃子の心情が語られている小説ということになります。ですので登場人物4人のうち桃子をのぞいた真守、姑の照子、真守の不倫相手である奈央は桃子の主観的存在でしかありません。

「家」の囚われ人(女)桃子…

この日記のことがわかるのは下巻(文庫の場合…)の最初あたりだったと思いますが、そこにいたる仕掛けとしてはさらに女性の妊娠ということも使われています。

ある時、真守が桃子に不倫相手である奈央に会ってほしいと言い出します。この真守という人物は一体どういう人間なんだとは思いますが、桃子にとって姑である母親からマーくんと呼ばれ、早い話、妻がいながら他の女性と関係を持ち離婚結婚を繰り返す男です。

妻に不倫相手の女性と会ってほしいという、そのこと自体にも、え? となりますが、さらにその場所をホテルのラウンジに設定し、なんと、その場に向かうその時に真守は桃子に相手の女性は自分の子どもを身ごもっていると言うのです。

桃子はすべてを無視します。このあたりの桃子の記述が結構深く、当然動揺しているわけですが、その動揺を打ち消すために現状否認の立場を取り続けるといった態度を取ります。その時、桃子の支えとなっているのが初瀬家の家系に位置づけられた「妻」という立場です。

ホテルのラウンジは修羅場です。桃子は「妻」の座を振りかざし、奈央は申し訳ありませんと謝罪しながら自らの優位を見せつけ、真守はその場を収拾しなくてはいけない立場にありながら、さらに桃子のの感情を逆なでします。

兎にも角にもその場は桃子が立ち去ることで終わります。

家系という価値観を持つ者にとって子どもが誕生するということは、特に女であれば、自分がその家系の中のある位置を占めることになったことを意味します。

実は桃子も結婚前に真守の子どもを身ごもっていたのです。これも日記のトリックにうまく使われており、その時、桃子は当時の真守の妻に対して圧倒的優位な立場にたったと自覚します。ところがです、桃子は流産してしまいます。そしてそれを伏せたまま真守の両親と会い、婚姻届を出す直前に告白するのです。

こういうところがとてもうまいです。日記が現在の不倫相手のもとと思える段階でこの桃子の流産のことが書かれていますので、流産したのは奈央かと思うようにできているのです。さらに、日記が桃子のものがとわかった後に、今度は桃子に奈央のアパートを訪ねさせ、奈央に「そのおなかのこ、産ませるわけにはいかないの。あなたはあの人の子供なんて産めない。だってあの人の妻は私で、あなたじゃない」と言い切ります。そして、直接的には桃子のせいではありませんが、奈央が階段から転げ落ち、おなかを押さえて呻く奈央を病院まで連れて行くのです。

その後のことは日記で語られます。病院では医師からおなかの子供は大丈夫ですと聞くまで付き添い、自分の気持ちを整理できないまま二人の自分がいるようだったと思い返し、日記がゆえということもありますが、どこかもうどうでもいいといった感情を持つのです。

前半では日記を使って同じことが繰り返されているような二重構造で引っ張り、そうではなくすべてが桃子の独白のようなものだとわからせてからは、話の焦点を「家」に囚われた女の悲哀のようなものでぐいぐいと引っ張っていくのです。

その仕掛けも前半から仕込まれています。離れの床下に隠された真守のおじいさんの時代の愛憎「家」物語です。こういう仕掛けがあることで昼ドラ風愛憎ドロドロ劇とは一線を画すものになっているのです。

桃子、家制度を逆手に取る…

桃子が真守の浮気のうの字程度にあるいはと考え始めた頃、真守が桃子の体を求めてきます。その時桃子は日常は使っていない六畳間にいる自分の妄想を見ます。そして、その後、この妄想がどんどん広がり、その部屋の畳を上げ、チェンソーを購入し、床板を切り裂き、床下の地面にまでおり、スコップで土を掘り返し、そこに常滑焼の壺を見つけます。中には昭和31年の新聞が入っています。

という桃子の行動が、母家で暮らす義母との日常や真守の浮気話と並行して語られています。

また、これもかなり早い段階、桃子が六畳間の妄想に囚われ始める初期の頃にわかることですが、実は、桃子たちが暮らす離れは、真守の祖父が外(家系の外…)で子どもを作った相手の女性時江を住まわせるために建てられたものだったのです。祖父の妻には子どもがなく、おそらく跡継ぎのためということでしょう。真守の父親は離れでひとり暮らしている女性が実の母親と知りつつ、「離れのおばさん」と呼んでいたということです。また、祖父の妻は、その時江がなくなった時、すでに祖父も亡くなっていたために自ら葬儀を取り仕切っていたと言います。

この作家はこういう昭和のちょっと下世話にも思える話を作るのがとてもうまいです。

桃子はこうした昔話を真守の父親の従姉妹から聞くわけですが、さらにその女性は時江が放火魔の疑いをかけられたことがあると言います。当時、付近で不審火が相次いでいたために夜警団が見回っていたらしく、火が出た近くで時江が目撃されたというのです。結局犯人は見つからなかったということです。

この不審火が床下の壺の中の新聞に繋がります。桃子が60年前のその新聞を調べますと、そこにはたしかに不審火のことが書かれているのです。

桃子の気持ちは一気に真守の浮気のことなど吹っ飛んでしまい、時江が本当に火をつけたのではないかとの思いに囚われ、自分自身を時江に重ね合わせていくことになります。

桃子はまるで時江の亡霊に取り憑かれたようにひとり時江と会話し、そして時江と一体化し、まさにその時、桃子は現実の世界で「ひのー、よーじん! ひのー、よーじん」と触れ回る消防団の声を耳にし、真守から送られてきた手紙と離婚届を丸めて台所のシンクに入れて火をつけるのです。そして、日記帳を手にしたまま外に飛び出して歩き回り、たまたま目にした家の車庫に入り、日記帳を破り、火をつけようとします。

しかし、その時、男たちの怒鳴り声が遠くから聞こえ、まるで自分が放火魔となり追われているような錯覚に囚われて、その場を去り、必死に逃げ回るのです。

そして家に戻った桃子は真守に電話をし、

「私、ここから出ていく気ないから」
「私、この離れはもらうから。私と離婚したいんだったらすればいいじゃない。離婚して、その女と暮せばいいんじゃない。でも、私はここから出ていかない」

と宣言するのです。

で、これで終わりではないのです。実に現代的なエンディングが用意されています。

これまで書いていないのですが、一連の話と同時進行で、桃子が結婚前に働いていた時のスキルを生かして文化教室の講師を週一でやっていることが語られています。エンディングは、その担当者からの、起業することにしたので是非とも手伝ってほしいとの留守電で終えています。

という、内容はかなり濃いい作品でした。

このところの吉田修一さんは新聞や雑誌への連載ものが多く、この『愛に乱暴』も新聞連載ではあるのですが、やや散漫に感じられる『湖の女たち』や『国宝』とは違い、しっかりとまとめられた小説になっています。

さて、映画はどういうことになっているのでしょう。原作を読んで見た映画にいいと感じるものはないというのは定説だと思いますが、はたしてこの映画はそれを覆すことができるのでしょうか(笑)。

予告編を見てみますと桃子がスイカを抱かえたりしていますが、大丈夫でしょうか…。