市川沙央著『ハンチバック』

2023年上半期の芥川賞受賞作です。著者が先天性ミオパチーという難病による症候性側弯症を患う重度障害者ということもあるのか、メディアでもかなり取り上げられていますので(いましたので…)芥川賞に興味のない方でも目にされたことがあるのではないかと思います。

読書文化のマチズモを憎んでいた…

…とリードを書いたのは芥川賞受賞後すぐですので、もう1年前になります。なぜかその後が書けずに下書きのまま眠っていました。今回読み直して再挑戦です。

あらためてなぜ書かなかったんだろうと考えてみますと、健常者では知りようのない、また知ろうともしなかった内容であり、ただ圧倒されてそれで終わっていたからじゃないかと思います。

とにかく、この小説はインパクトがあり圧倒的であることは間違いないです。熱量がすごいですし、その熱量にはある種の怒りも含まれているわけです。さらにその怒りはかなり直接的です。

「読書文化のマチズモ」との表現があります。

厚みが3,4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、――5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。

(27p)

で、その怒りから「私の背骨が曲がりはじめたのは小3の頃だ」と進み、まわりの生徒たちは姿勢が悪くても正しい設計図(DNAということか…)を持っているので自分のようには背骨は曲がらないと言い、

ミスプリントされた設計図しか参照できない私はどうやったらあの子たちみたいになれる? あの子たちのレベルでいい。子どもができて、堕ろして、別れて、くっ付いて、できて、産んで、別れて、くっ付いて、産んで。そういう人生の真似事でいい。
私はあの子たちの背中に追い付きたかった。産むことはできずとも、堕ろすところまでは追い付きたかった。

(28p)

と、かなり直接的に書かれています。

もちろんこの小説は自伝というわけではなくオートフィクションと考えるべき小説ですし、その心情を過去形にしていることからすれば、仮に一部自伝的言説があるとしても、著者にはなにがしかの抑制が働いていると考えられます。

この怒りは著者以外のすべてに向かっています。すべてに向かっているということはどこにも向かっていないということと同じです。おそらく著者自身にもそれがわかっているがゆえに心情を吐き出しながらも抑制的になっているんでしょう。

実際、健常者にはその怒りをどう受け止めればいいのかわからない後味の悪さが残ります。

で、私は思います、すごいなあと思うその気持ちを抱いた瞬間、同時にこの気持ちを消費していくしかないんだなあと。

それも下書きに眠らせていたひとつの理由かもしれません。

重度障害者の「性」と「生」…

この小説の主人公、井沢釈華の怒り、あるいはそれは著者市川沙央のものでもあるかもしれない怒りは「産むことはできずとも、堕ろすところまで」つまりは「妊娠と中絶がしてみたい」、そしてそこにいたるまでの「性交」へとシフトされていきます。

井沢釈華は、紗花、Buddhaなどいくつかのアカウントを持ってネット上をさまよい、またこたつ記事のライターとして自虐的に社会参画しています。書いているのは早い話、かなり露骨なポルノです。

冒頭は、Buddhaが書くハプバ(ハプニングバー)でのこたつ記事から始まり、続いて、小説の中の現実として、グループホームで暮らす井沢釈華が自ら誘って職員の田中とオーラルセックス(もっと即物的…)におよんで田中の精液を飲んで死にかけ、そして最後は、旧約聖書のエゼキエル書を引用しつつ、風俗嬢の紗花がNN(ググってください…)の客をとりながら、その時、

真っ白な天井にダウンライトの単眼が明るく光って私を見下ろす。私は光を見つめる。光の向こうに蓮の花が咲く。泥の上に咲く涅槃の花だ。
兄が殺した女の人の少し変わった名前と少し変わった病名を、私は今でも思えていた。

(92p)

と、紗花が思う記述のネット小説を、あたかも釈華が紗花として生まれ変わったかのようにシフトさせて書いています。

「兄が殺した女の人」というのは、紗花が客に自分の兄はグループホームで女の人を殺して刑務所に入っていると話していることからです。そして、最後の一行、

釈華が人間であるために殺したかった子を、いつか/いますぐ私は孕むだろう。

で終わっています。

というように、この小説は重度障害者の「生」に関わる内面性を「性」というものを媒介にして書こうとしているところがあり、それが強烈なインパクトとなって現れ、そしてその裏表としての「生」への思いが常に絶望と隣合わせであるがために強い熱量を感じさせるのではないかと思います。

手慣れた書き手、市川沙央…

この小説は、分量自体が原稿用紙90枚の短編ということもありますが、文体にリズムがあってとても読みやすく、あっという間に読めてしまいます。そして、読み終わってふーとため息をつくという感じです。

ですので、一読しただけですと井沢釈華イコール市川沙央にも読めてしまいますが、最後のパートのエゼキエル書がどういうものであるかを知り、その後の紗花による次元を変えた結末を考えますと、かなり巧妙に組み立てられた小説であることがわかってきます。それにかなり書き慣れている感じがします。表現も巧みです。たとえば、井沢釈華が自らの身体状況を語るくだり、

首に負荷をかけない姿勢は腰に負荷をかけるので、30分経つと足を下ろして腰を宥める姿勢に移る。また30分もすれば首が痺れてくるから両脚を所定の位置に折り畳む。そうしている内にも重力は私のS字にたわんだ背骨をもっと押し潰そうとしてくる。硬いプラスチックの矯正コルセットに胴体を閉じ込めて重力に抵抗している身体の中で、湾曲した背骨とコルセットの間に挟まれた心臓と肺は常に窮屈な思いをパルスオキシメーターの数値に吐露した。息苦しいい世の中になった、というヤフコメ民や文化人の嘆きを目にするたび私は「本当の息苦しさも知らない癖に」と思う。こいつらは30年前のパルスオキシメーターがどんな形状だったかも知らない癖に。

(13p)

文章のリズムがいいですのですらすら読み進んでしまいます。ただ、反面、それゆえ「本当の息苦しさ」が伝わりにくいという面はあるとは思います。

場面転換もうまいです。冒頭のハプバ記事を編集部にメールで送ったあと、後編や福岡編の依頼を受けるわけですが、そのくだり、WordPressにログインして、

(略)編集部がテンプレートにタイトルだけ入れて作成してある記事の中から福岡編と書かれたエントリをタップ。ここから編集権限がBuddhaに移る。Buddhaは私のアカウント名だ。私は29年前から涅槃に生きている。成長期に育ちきれない筋肉が心肺機能において正常値の酸素飽和度を維持しなくなり、(略)

(8p)

と、井沢釈華が自らを語る場面に移っていきます。うまいですね。

同情される存在ではない…

自虐ユーモア的な表現も多いです。

「歩道に靴底を引き摺って歩くことをしなくなって、もうすぐ30年になる」
「学歴ロンダリングと自ら嗤いながら通信大学のハシゴをしている」
「私の成長曲線も標準の人生からドロップアウトした時点で背骨とともにS字に湾曲している」

などなど。タイトルからして「ハンチバック」ですし、井沢釈華が自らを称する「せむしの怪物」という言葉もあります。

こうした自虐的な言葉からも感じられることですが、井沢釈華の人物設定にも自らを弱者扱いされたくないという強い意志が感じられます。

この小説の最も強烈なインパクトを放つ「妊娠と中絶」を叶えようとするパート、介護職員の田中とのシーンは弱者対決(そう表現されている…)として描かれています。

田中は30代の男性です。グループホームのシフトの関係から田中が井沢釈華の入浴介助をすることになります。すでに亡くなっている両親は井沢釈華の尊厳を守るために入浴介助だけは同性で行うよう配慮してあると言いつつも井沢釈華本人は田中の介助を受け入れます。

田中は入浴介助を終えて井沢釈華に挑戦的に絡んできます。井沢沙華が紗花というアカウントで書いているネット記事を読んでいるのです。田中は井沢釈華を障害者なのにお金だけは持っている(後述…)と見下してきます。井沢釈華はそんな田中を表立っては穏やかに答えつつも内心では社会的弱者だと見下そうとします。

この弱者対決は思わぬ方へ転換します。井沢釈華はこいつの子なら孕んでも間違いなく堕ろせると性交を持ちかけます。そして、井沢釈華はまず飲ませてと言い、そのまま射精させ、当然本人にはわかっているわけですが、飲み込めるわけはなく、肺炎を起こし死にかけるのです。

このくだりはエロではないのですが、とても嫌な気持ちのする場面です。

作者はそれをわかって挑戦的に書いているんだろうと思いますが、そこには他人を弱者と認定できるのは弱者だけといった、かなり際どい人権感覚が潜んでいるように感じられ、率直なところ健常者ではわかり得ない障害者が持つ(持っているかもしれない…)他者認識があるように思います。

言葉では理解できますが、健常者感覚ではかなり難しい感覚、障害者が「同情される存在ではない」と思う自己認識を強く感じます。

ところで、井沢釈華の人物設定ですが、井沢釈華が暮らすグループホーム、イングルサイドは両親が釈華のためにワンルームマンションを一棟まるごと改造して井沢釈華のために残した施設であり、つまり釈華は経営者ということでもあるわけです。さらに他にも数棟のマンションを保有してその家賃収入もあり、億単位の現金資産を持っているという設定です。

井沢釈華は田中に性交の代償としていくら欲しいと聞きます。田中は1億と言います。井沢釈華は、1億5500万円でどう? と答えます。

二作目、三作目にどういったものを書くのか、とても楽しみな作家です。

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