ウスビ・サコさんの名前を何で知ったのかははっきりとは記憶していませんが、多分大学の学長になられたことをネットで見たんだと思います。2018年の4月から京都精華大学の学長を務めてみえます。
そのサコさんが日本での生活や日本の価値観に感じることを書いています。かなり厳しい指摘が多いのですが「なんでやねん」などと関西弁が多用されていますのでイヤミはありません。バンバラ語、英語、フランス語、中国語、そして日本語は関西弁ネイティブのマルチリンガルだそうです。
西アフリカ マリ共和国
多くは日本でのことが書かれていますが、母国マリ共和国での子どものころの生活や中国での留学時代の記述からはじまっています。
マリ共和国、その国名は知っていますがアフリカのどこに位置しているのかはわかりませんでした。国の1/3がサハラ砂漠らしいです。
え? フランス領スーダン? ウィキペディアを読んでいましたら、フランス領スーダンと呼ばれていた時代があるようですが、スーダンって東アフリカ、エジプトの南の国です。
同じくウィキペディアの スーダン (地理概念) を読みますと、もともとは北アフリカに住むアラブ人が南に住む黒人のことを al-Sūdān と呼んでいたところから、サハラ砂漠以南を指す呼称になったようで、1880年代からはじまったヨーロッパ列強によるアフリカ分割によって東部がイギリス、西部がフランスによって植民地化されフランス領スーダンの呼称が使われたということです。
話がそれてしまいましたが、サコさんはマリ共和国の首都バマコで1966年に生まれたそうです。父親は国家公務員で教育熱心だったらしく、いわゆるエリート教育を受けたんだと思います。フランスの植民地であったことから公用語はフランス語ですし、教育システムもフランス式のようです。
中国留学
高校三年生になりバカロレア(大学入学資格試験)を受け、中国へ留学することになります。国外へ留学できるのはすでにエリートであり、留学後国へ戻って国家公務員なり国のために働くということらしく、留学先も国が決めるのだそうです。
サコさんは、自分は上位2、3番目の成績なのになぜヨーロッパではなくアジアなの?!と、それを知った時は絶句したそうです。国が決める留学先に1980年代の中国が入っていたんですね。その時代、さすがにまだ中国もアフリカへの投資はしていなかったんじゃないかと思いますのでどういう理由からなんでしょう。
ただ、結果的にサコさんにとってはいい方向へのきっかけになったようです。視野が広くなったということです。世界はヨーロッパだけじゃないということでしょう。
留学先は南京の東南大学、専攻は建築学です。寮は中国人と分けられており、留学生はかなり優遇されていたそうです。そうしたこともあってか、1988年の年末に留学生と中国人学生の間で争いが始まってしまい暴力沙汰にまでなったということです。翌1989年6月4日が天安門事件の日です。
そして、日本へ
中国での日本人留学生たちの印象は、電化製品をいっぱい持っていて、いつもレトルトカレーを食べ、お湯をかければ出来るスープを飲み、カイロという携帯用暖房グッズを持ち、小型のいい音が出るスピーカーを持っている不思議な人たちだったようです。常に日本人同士で集まっているので深い交流はなかったということです。
1990年の夏に日本へ旅行したことがサコさんのその後を変えたようです。さらに不思議さが増したということでしょう。東京と京都という街で感じた落差ともいえる印象の違いが大きかったようです。
そして、1991年3月、日本、大阪に渡ります。この本には何も書かれていませんが、中国への留学が国の意向で決定しているわけですから国との何らかのやり取りがあったんでしょう。ウィキペディアには「東南での5年間を経て、中国での研究に不自由を感じ、母国で国家公務員として採用される予定も経済の悪化で延期、日本に行くことを決断した」とあります。
日本語学校を経て、1991年9月に京都大学の巽和夫教授の研究室に入り、翌年4月に大学院の修士課程に入学します。
で、本題へ
ここまでは導入で分量にして1/4くらい、ここからが本題でタイトルの『サコ学長、日本を語る』ということになります。
サコさんが、ん?何だこれ?と違和感を持ったり、不思議がったりすることが語られていきます。日本人でさえ、項目を上げただけでもそうだねとかなるほどとか思うことが多いです。
- 「おない」文化
「おない」という言葉自体は関西の言葉かと思いますが、「同じ年」「同じ学年」ということで共通意識を持つことで、それが同期、先輩、後輩という階層的人間関係につながるということです。 - 親子の依存関係
たとえば、子どもの弁当、子どもが何も言わなくても親がつくり、子どもはそれが当然と思うことがどうかということです。サコさんちでは子どもが何を作って欲しいとお願いするようにしているそうです。つまり、親子であっても一対一の関係を大切にすべきということです。 - 教師と学生の上下関係
教師は学生に教え込むものではなく、互いに学びがある関係であるべきだということです。 - 「ぶつかりあい」のないコミュニケーション
みんなで決めようと思っているのに、学長が決めるんじゃないのと言われたりすると言います。 - 人をその地位で判断
もうこれは、「えらい人」という日本語に象徴されていることです。
2000年に博士号取得、2002年日本国籍取得、2001年京都精華大学専任講師、その後人文学部教授、人文学部部長、そして2018年に選挙で選ばれて学長に就任します。
サコさんの考え方の基本は「みんなの京都精華大学」、教師間でも大学は学長のものでもなく、教師のものでもなく、また教師と学生間でも教師のものでもなく、学生のものでもなく、もちろん理事会や理事のものでもなく、大学はみんなでつくっていくものだということです。
サコの教育論
教育は学校のものだけではない
教育において学校というものへの期待の高さに驚くと言います。学校教育、家庭教育、地域教育のバランスが重要ということでしょう。当然ながら、個性は学校教育だけでは育たないでしょうし、それに、教育を学校だけに集約すれば、学校の負担が増え、教員は疲弊し、学校教育自体が崩壊してくのではないかと言います。
現状はそうですね。ただ、これも教育論だけでは片が付きません。社会自体が疲弊していますので、家庭教育、地域教育自体が成り立たない階層が増えているということでしょう。
やはり、問題の根は格差社会だと思います。
人と同じことがいいことではない
サコさんは「普遍的にならないとダメな社会」という言葉を使っていますが、人と同じであることを求める社会ということです。
すぐに「同調圧力」という言葉が浮かんできます。これに抗するにはかなりの精神力と体力がいります。学校や地域ではこれを強要されることが多いですので、最後の砦は家庭でしょう。
皆が同じであることを求める社会は、当然ながら、選択肢のない人生を個人に強要することになりますし、そうしますと個人の能力を潰してしまうことになります。
解は大人が子どもから教わる社会
大人が子どもに押し付ける社会はよくないということですが、今の日本がそうかといいますとこれはちょっと違うような気がします。むしろ大人は自信を失っていますし、子どもはそれを見透かしているんじゃないかと思います。でも、そうか、だから大人は子どもに力で押し付けようとしているということか…。
いずれにしても、自分の人生を自分で考え選べる社会は望ましい社会ですし、自分で考えることを教える(育む)のが教育ということではあります。
就職予備校化する大学
これは本当にそう思いますね。
日本のノーベル賞受賞者から、基礎研究の重要性とそれを軽視した教育行政に警鐘を鳴らすコメントをよく耳にしますが、これも同じ流れの中にあることでしょうし、単純にお金の問題ではなく、サコさんが指摘する、また多くの人がわかっていながらなかなかできない社会の壁を破る努力をしていかないと世の中が好転することはないように思います。