尾張三英傑に仕えた山内一豊の歴史にふれて

三ヶ月ぶりのさわやかウォーキングです。

この暑さ(35度予想)で大丈夫でしょうか。

さわやかウォーキング尾張三英傑に仕えた山内一豊の歴史にふれて

尾張三英傑に仕えた山内一豊の歴史にふれて

東海道線一宮です。ただ、一宮だけではダメなようで、尾張一宮と言わないと全国的には通じないようです。尾張一宮は、ここ一宮にある真清田神社、二宮は隣町の犬山市にある大縣神社、そして、三宮が熱田神宮です。

ほとんど来ることはないのですが、漠然とした記憶からしますと、一宮駅、むちゃくちゃきれいになっています。

駅ビルの東口を出たところ。

その駅ビル。

今日は街歩きですから、多分こんなところばかりでしょう。

そんなところばかりでした(笑)。

なぜか途中「野田屋菓子餔」というお菓子屋さんへ導入されるコースになっていました。結構皆さん何やら購入していました。

お菓子屋さんの近くの「石刀神社」、いわとじんじゃと読むようです。

JRと名鉄の線路を陸橋で渡ります。

何がなくとも青空ですと絵になります。

東海北陸自動車道をくぐります。

線路沿いを歩き、

一宮市木曽川資料館

旧・木曽川町会議事堂は1924年(大正13年)竣工の木造2階建、瓦葺の洋風建物、旧・木曽川町倉庫は鉄筋コンクリート造りの土蔵である。ともに2006年に国の登録有形文化財に登録されている。

小学校の校庭で「一豊まつり」というイベントが行われていました。暑苦しくって中には入っていません(ゴメン)。

その隣に、「黒田城跡」

黒田城は、尾張国葉栗郡黒田(現在の愛知県一宮市木曽川町黒田字古城)に戦国時代から安土桃山時代にかけてあった日本の城。平城。一宮市指定史跡。初代土佐藩主となった山内一豊の生まれた城とされる。

明治二十四年の夏、正岡子規が木曽路を経て美濃伏見から舟で木曽川を下り、北方で下船、木曽川停車場から汽車に乗るつもりで駅前の茶店で休憩をした。

この時の思いでを、明治三十二年七月、子規が発表した小作品「旅」の中に「一生に只一度の思ひは残る木曽川の停車場とて、田の中に茶屋三軒、其一軒に憩ひて汽車待ち合わせしに、丸顔に眼涼しく、色黒き女、十六ばかり……心の奥迄しみこんで……其無邪気な顔どうしても今に忘れられず」と記されている。女は黒田の松本松之助二女「わく」明治四年生まれ。わくはそれとも知らず子規をせきたて汽車に乗せた。

後日、地元ではこの秘話にちなんで記念碑を「見染塚」と名付けて、木曽川駅構内に建てる話がたびたびもち上がったがみのらなかった。
「旅」の発表から九十有余年経てようやく待望の「俳聖正岡子規見染塚」がこの公園内に建設されるにいたった。

平成六年三月吉日建立 木曽川町教育委員会(平成17年度から一宮市

ゴールの木曽川駅です。

ゴールです。

10時30分スタート、12時20分ゴールで昼食なしの1時間50分、約7kmのウォーキングでした。さすがにきつかったです。