「王谷晶さんの「ババヤガの夜」が英ダガー賞受賞…日本人作家で初(読売オンライン)」というニュースが流れ、えっ、ブッカー賞受賞!? と驚いたのは昨年の夏でした。結局、その存在も知らなかったダガー賞受賞ということでしたし、王谷晶さんも知らない作家さんでした。
ダガー賞
今更ですが、ダガー賞はイギリスの CWA(The Crime Writers’ Association)が、その年にイギリスで出版されたミステリーや犯罪小説から選ぶ文学賞で、その最高賞はゴールデン・ラガー賞と呼ばれ、王谷晶さんが受賞したのは翻訳部門インターナショナル・ラガー賞ということです。
CWA が授賞を始めたのは1955年で、その後スポンサーにより名称が変わったりといろいろ変遷を重ね、現在では10部門の賞があるようです。インターナショナル・ラガー賞は作家本人と翻訳者が受賞することになります。
CWA のサイトに『ババヤガの夜』の記事があり、審査員のコメントが記載されています。
Like a manga cartoon, this savage depiction of Japanese yakuza life is relentlessly violent if only to highlight the deep humanity of its fish out of water characters. Mean and lean, this saga sparkles with originality and delivers a splendid if bizarre love story.
日本のヤクザの世界の残酷な描写は漫画のようでもあるが、その中にあり、場違いにも見える登場人物の深い人間性は際立っている。無駄を削ぎ落としたこの物語は独創性に溢れており、ユニークで素敵なラブストーリーを届けてくれる。
ネタバレあらすじ
ミステリー小説というわけではありませんが、終盤、2/3くらい進んだところで、え? となりますのでネタバレ記事は注意して読んだほうがいいです。この記事はネタバレしています。
全体の印象はかなり昭和っぽいです。ヤクザがヤクザとして前面に出ていることもありますが、それよりもむしろラブストーリーがいわゆる逃避行なんです。ヤクザに追われ、素性を隠し、世間の目を逃れて40年、これ、プロット自体は昭和のラブストーリーです。
ただ、その40年間の描写があっさりしたもので、全体180ページのうちのラストわずか20ページとそれとはわからないように時々挿入される20ページほどで描かれています。いや、描かれているというわけではないですね(笑)、10年ごとのダイジェスト版のようです。
えー、もうちょっとちゃんと書いてよと私は思いますが、まあそれを書きますとまさしく昭和のヤクザ映画みたいになっていたのかも知れません。
それにこの小説のポイントは逃げる二人は女性であり、その関係をはっきりさせていないことです。いわゆるシスターフッドということになりますが、二人の関係から性的なものを一切排除しているのです。それは二人以外の場面で描かれる男たちの世界が暴力的な性に溢れていることとの対比となっています。
新道依子
主たる登場人物は
- 新道依子…22歳、大柄で身体能力抜群でめっぽう強く、本人は暴力への欲求が内に渦巻いていると言っている
- 内樹尚子…18歳、女子短大の学生、暴力団内樹会の会長内樹源造の娘であり、源造が兄弟盃を交わした宇多川剛の許婚
- 宇多川剛…サイコパス、豊島興業という暴力団を率いている
- 内樹源造…関東最大規模の暴力団興津組の直参である内樹会の会長
- 柳永洙…内樹会の若頭補佐で配下の組を率いている
というシンプルなものです。それに登場人物のネーミングが昭和です。実際、40年後の依子の台詞に「暴対法も厳しくなった。もう昭和じゃない。70年代なんて大昔だ」とありますので、時代は1970年代と40年後の2010年代ということです。
冒頭は依子と男たちの格闘(喧嘩)シーンから始まります。
依子は堅気の人物で、花屋のアルバイト中にヤクザといざこざが発生し(だったと思う…)、ところが男たちをこてんぱんにやっつけてしまうものですから、柳永洙がその腕を買って尚子のボディガードにしようと源造のもとに連れてきたということです。
格闘シーンを少し引用しますと、
女は今度はふらつきもせず、その場で仁王立ちになった。掌を開き、腕を広げ、男らをねっとりと睥睨し、かぱっ、と口を開く。血塗れの歯が覗いた。
(略)
右手から飛び掛かった男の喉仏には拳がのめり込んだ。声も出せず、息も出来ず、男はその場に尻もちをつき足をバタバタさせる。左から突っ込んできた男の膝頭には、安全靴の蹴りがぶちこまれた。関節が壊れる嫌な音が怒号の飛び交う中でもはっきりと鳴った。別の男の拳が女の頬を思い切り殴りつける。女はよろけて数歩踏鞴を踏んだが、すぐに姿勢を立て直しボクサーのように両腕で頭をガードした。
こんな感じです。格闘シーンがあるような小説は読みませんので具体的なイメージが浮かばなかったんですが、今読み返しながら打ち込んでなんとなくわかってきました(笑)。
ボディガードくらい出来そうな男がわんさといるのになぜ依子がスカウトされたかといいますと、ボディガードにつけていた組員の男が尚子に手を出そうとしたからとのことです。
内樹尚子
ということで、短大へ通う尚子の運転手兼ボディガードとなった依子です。この二人の関係の描写が全体の半分以上を占めていますので作家として一番書きたかったところだと思います。
当初依子には、勝ち気で世間知らずのお嬢様と見えていた尚子ですが、実はしっかりもので父親源造の望み通りに生きるのが自分の人生と悟ったところのある人物と感じられるようになっていきます。
一方、尚子の方は、そうすることが自分の役目であるかのようにお嬢様然と上から目線で依子に対していたものの、次第に自分とはまったく違った人生を歩んでいる依子に興味をもっていきます。
そうした二人の関係の変化を描きつつ、依子の過去や組の中での依子の日常などが描かれていきます。尚子が暮らす屋敷は内樹会の組事務所でもありますので何人かの組員も暮らしています。依子も住み込みになります。
尚子には友だちがいる気配がありません。学校が終われば毎日お茶やお花といったなにがしかの習い事に通っています。尚子はそれを女としての教養よと言っています。それに服装が奇妙なほど古風です。そのあたりのことを柳永洙が教えてくれます。依子と柳永洙は武闘派としてお互いに認め合うところがあるようです。
源造の妻であり尚子の母親は10年前に組のマサという若頭と逃げたということです。源造の気持ちをらしい言葉で言えば寝取られたということであり、マサもかわいがっていた子分ということですので、はらわたが煮えくり返る思いなんでしょう。10年たった今でも探偵を使って日本中を探し回っています。尚子の服装が古風なのは源造に母親のものを着させられているからです。源造が自分の趣味で妻に買い与えていたものです。
ある日、二人はちょっとしたことで言い合いになり、依子が泣き始めた尚子をなだめるために行きたいところへ連れていってやると言いますと、尚子は喫茶店に行きたいと言います。コーヒーも飲んだことがない尚子です。そこで依子の身の上話になり、依子は北海道で祖父母に育てられ、祖母はたくさん昔話をしてくれたといい、その中の鬼婆の話を尚子にします。
これがタイトルになっている「バーバ・ヤーガ」の話です。
依子は自分は鬼婆になりたいと思っていたと言い、また尚子も同じように鬼婆がいいと言っています。
また、依子が喧嘩に強いのは祖父に鍛えられたからと言っています。小説とはいえ並外れていますのでどういうことかとは思いますが説明はされていません。いずれにしても依子はしごきともいえる祖父の鍛え方が楽しかったと言い、自分の中に暴力への欲求を感じると言っています。
クズな男たち
見出しを「クズな男たち」と書いていましたら、しばらく前に読んでいた金原ひとみさんの『YABUNONAKA―ヤブノナカ―』を思い出してしまいました。その中に「性欲のある男はクズ、性欲のなくなった男はゴミ」という名言があるのです(笑)。
性欲のあるクズの登場です。まず、依子に恨みを持つ組員たち、晩飯の豚汁にクスリを盛り集団でレイプしようとします。助けたのは尚子です。「出ていけ!」と男たちを一喝します。
これを境に二人の関係が変わっていきます。会話もより親しみを帯びたものになり、尚子は「お嬢様」と呼ばれるのは嫌だからと言い「尚子さん」と呼ばれることになります。
性欲のあるクズの二人目、尚子の許婚の宇多川剛です。ある日、依子は尚子を喫茶店に残し車をパーキングから出しにいきます。戻ってみますと尚子は路上で男に手を取られて泣きそうな顔をしています。問答無用でその男の顔面にパンチを浴びせます。男の鼻が潰れます。宇多川剛です。
これはえらいことです。宇多川はサイコパスの拷問好きなんです。尚子に手を出したという男の手首を切り落としたり、依子を襲った男たちの陰茎を切り落としたりする男です。「孤狼の血 LEVEL2」の上林(鈴木亮平)みたいな男を想像すればいいです。
源造の屋敷です。源造、尚子、依子、柳永洙が揃っています。柳永洙が申し訳ありませんと額を畳にこすりつけています。こいつは関係ないだろと言う依子に源造は連帯責任だと二人を見据えています。そこに宇多川剛が入ってきます。宇多川剛は二人を言葉でいたぶるように、これはどうだ、あれはどうだと残酷な仕打ちを並べ立てて楽しんでいます。
「やめてください!」尚子が叫びます。何でもするという尚子に宇多川は「新婚初夜に初めて結ばれるって決めているんだ。君との初夜の前は一ヶ月の間絶対に射精をしないでおこうってね。君のために愛を貯蔵するんだ。僕の愛をたっぷりと受け止めてもらいたいからね」と下卑た笑みを浮かべながらズボンの中では勃起しています。
いったいどうなることかと思いましたら、源造のもとに逃げた妻とマサが見つかったとの知らせが入り、源造が柳永洙に二人を生け捕りにしてこい、そうしたらお前の命は助けてやると言い出します。宇多川剛の怒りはどこかへいってしまいました(笑)。
クズな男たちの最後は源造です。依子が出発しようとしているその時、尚子の部屋に異変を感じます。駆けつけますと源造が尚子をレイプしようとしているのです。源造は儂の娘だから儂がぶちこむ権利があると尚子から体を離そうともしません。しかし、その言葉を言い終えるまもなく源造の喉には黒ボールペンが突き刺さります。ただ、そんなことで息絶えることのない源造です。二人の格闘に終止符をうったのは尚子です。尚子は習い事のひとつとして弓道も嗜んでおり、尚子の放った矢が源造を貫いたのです。
そして二人はシビックで逃げます。
叙述トリック
依子と尚子の逃避行にはわりと早い段階からトリックが仕込まれています。多分、この小説のおもしろさにはこのトリックが効いているのでしょう。
ここでまた違った小説を思い出しました。吉田修一さんの『愛に乱暴』です。
本筋の中に時々挿入される本筋とは違った話を本筋の中の話に結びつけて読んでしまうというトリックです。『愛に乱暴』では夫が浮気をしている妻の一人称記述で進むのが本筋で、時々浮気相手の女性の日記のようなパートが挿入されます。ところが小説の中頃に、その妻も今の夫が結婚している状態で付き合い始め、その時に書いていた日記だったということが明らかになるというトリックです。
この『ババヤガの夜』ではときどき芳子と正という夫婦の日常生活の描写が入り、二人は身を隠して逃げていると語られます。当然源造の妻とマサの二人だと思って読み進みます。さらにその二人はたまたま交通事故の現場に居合わせ、その時撮られた写真がネットにあげられることになり、そのタイミングで源造のもとに二人が見つかったとの知らせが入ります。
この芳子と正、実は夫に見えるのは尚子であり、妻に見えるのは依子の方なのです。経緯はまったく書かれていませんが、体型などの記述からは、あるいは尚子は性別移行したのかもと思わせます。
ということで、物語は一気に40年の時を越えて、芳子こと依子と正こと尚子のもとに、バズった交通事故の写真を見て二人を見つけた宇多川剛がやってきます。
そして最後の格闘の末、ここでも尚子が放った矢が宇多川剛を撃ち抜くことになります。
そして二人は互いにこれでやっと鬼婆になれると言いながら、依子の生まれ故郷の北を目指して車を走らせます。
感想:もっと書き込んで
とても面白い話ではあります。ただ、40年間の記述をもっと書き込んでくれればなおよかったのにと思います。ですのでやや煮えきらない感覚が残る小説でした。
インターナショナル・ラガー賞ですので翻訳の良し悪しがかなり影響しそうです。翻訳者はサム・ベット(Sam Bett)さんということです。
