津村記久子さんの本は『君は永遠にそいつらより若い』と『ポトスライムの舟』を読んだきりその後他の作品を手に取ることはなかったのですが、今回『水車小屋のネネ』を読んでとてもよかったので、と言いながら書くのは『つまらない住宅地のすべての家』です(笑)。
NHK でドラマ化されていた…
私の中では津村記久子さんはとっ散らかったいい話を書く作家という認識であり、『水車小屋のネネ』はそのとっ散らかり具合が40年間の物語を10年ごとの5話で書くという手法でうまく生かされおり、なおかつその物語がてとてもいい話なんです。
ということで、書きかけになっているレビューもそこそこに『つまらない住宅地のすべての家』を読み始めてしまったということです。
今この本のタイトルを検索に入れましたら一番に NHK のページがヒットします。ドラマ化されていたんですね。
2022年の10月からですので3年前です。残念ながら再放送もなさそうです。
と思いながらググっていましたら、NHK オンデマンドがヒットしました。15分の連続ドラマみたいです。
んー、想像がついちゃいますね。というのは、この小説、ある住宅地の10家族のそれぞれの人間模様が数ページから10ページくらいのまとまりで書かれて次から次へと移っていき、全体の2/3くらいまではそれらに関係があるようなないような感じのとっ散らかった状態で進んでいくんです。
ドラマでは10家族かどうかはわかりませんが、それらが一話ずつ描かれていき、そのすべてにあることの話題が入り、さてそのあることがその家にどう関係してくるんだろうと作られたドラマじゃないかと思います。
あることとは刑務所からの逃亡犯です。
とっ散らかったいい話…
ある住宅地の一角に暮らす10家族があります。

本に掲載されている図です。さすがにこの図がないと読んでいてもどの家の話かわからなくなります。
それぞれの家は図から思い浮かぶ長屋というわけではなく、独立した家屋でみな古い建物と書かれています。その10家族がそれぞれ問題を抱えており、その問題がひとつずつ語られていくスタイルが取られています。
で、いつ絡んでくるんだろうという期待を持って読み進むのですが、なかなかそういうわけにもいかず、もう読むのやめようかなと(笑)思った矢先、全体の2/3くらいになってそのもやもやが一気に解消します。
こういうところがうまい作家で、それを私はとっ散らかったいい話を書く作家と言っているわけです。
もやもやを一気に解消するのは刑務所からの逃亡犯、日置昭子です。いくらとっ散らかっていると言ってもこの日置昭子の件は最初からどのパートでも触れられており、きっとこの日置昭子がまとめ役になるんだろうということは想像できます。
10家族それぞれが抱える問題…
まずは10家族がそれぞれに抱える問題です。
丸川家は父親と中学3年生の息子の二人暮らしです。妻は出ていってしまっており、夫はそれを隠そうとしています。出ていった理由にこれと言ったことは語られませんが、妻のほうが夫婦生活に疲れた、あるいは飽きたという感じのようで、夫には思い当たる節もあるようです。
この丸山家中学3年は学校帰りに同級生とこの後に書きます長谷川家の倉庫の前で話し込むことが習慣となっています。その同級生は逃亡犯日置昭子の従兄弟であり、小説残り1/3の解決編で重要な役回りとなります。
山崎家は58歳の女性の一人暮らし、母親と暮らしていたんですが最近亡くなっています。母親が溜め込んだ生活用品の処理にうんざりしています。近くのスーパーでパート勤めをしています。
三橋家は夫婦と12歳の息子の三人ぐらし、息子は発達障害なのか、何らかの精神的な障害があるのか、詳細は語られませんが両親は周りに知られてはいけないと思い込んでおり、家の隣の倉庫に閉じ込めようと計画しています。妻は山崎家の女性と同じスーパーでパート勤めをしています。
矢島家は祖母と母親と幼い姉妹の4人暮らしです。母親は男性依存症で好きな男ができると家に帰ってこなくなり、家のことは小学4年生の姉がわからないながらも頑張ってやりくりしています。
相原、小山家は事実婚夫婦と思われます。二人とも大学の講師で、妻はある学生との関係に消耗しきっています。その学生は最初は妻を頼ってきたので入れ込んで指導していたんですが、ある時別の教師に乗り換えたということです。妻が入れ込んだこの学生は丸山家同級生と同じく小説残り1/3の解決編で重要な役回りとなります。
長谷川家は祖母と父母と3人の兄弟姉妹が暮らしており、この家が物語のキーとなる家で、逃亡犯の日置昭子の脱走に関係があります。家が大きいのは隣の家を買い取ったためであり、道路を挟んだ倉庫は家業の建築業のためのものです。
大柳家は25歳の男性の一人暮らしで、この男は幼女誘拐を企んでいます。
真下家は高齢の母親と36歳の息子の二人暮らし、息子は日置昭子の中学の同級生です。
松山家は壮年の男性の一人暮らし、山崎家の女性が務めるスーパーで警備員をしており、その女性とも親しく話ができる関係です。
笠原家は老夫婦の二人暮らし、50代、40代で結婚しており子どもはいません。夫は誰彼となく自分の子どもだったらと思うと言っています。
という10家族、もちろん個々にはもっと深い記述があります。分量的にはここまでで全体の1/3くらいです。こうして書き出してみますと、逃亡犯日置昭子の問題を大きく動かすのは丸川家同級生と小山家指導学生の二人であり、唯一10家族の中で事件の当事者と言えるのは長谷川家祖母だけです。
ですので、この小説は日置昭子の逃亡事件を書いているわけではなく、その事件によって10家族の抱える問題が解消する、あるいは変化するということであり、つまりは、他者とのつながりがなく個の問題と考えていたことが、事件を契機にして他者と関わりを持つことになり、それにより見え方が変わっていく物語ということです。
近所の人の顔が見えてくる…
一通り10家族の状態が語られた後、自治会長である丸川父が、逃亡犯が近くに来ていることから昼夜の見張り番を立てようと動き始めます。路地の入口にあたる笠原家の2階を借りる段取りをつけ、各家のローテーションを組みます。
それにしても小説だから読み流せますが、これが現実ならこの見張り番云々で近所トラブルになります(笑)。それに自分ちの2階を近所の人とはいえ貸さないですわね。
とにかく、これは小説ですのでこの見張り番の交流でそれまで顔の見えない匿名のような存在であった近所の人がその人の顔を持った存在として見え始めることになります。
まず笠原家の老夫婦は快く2階を貸してくれますし、さらに庭の植え込みが邪魔だろうと、隣の幼女誘拐を計画している大柳25歳に刈り込みを頼みます。大柳25歳は内心あれこれ考えながらも見た目快く引き受けています。
矢島家小学3年生は、男性依存の母親が出るわけもありませんので自分がやりますと見張りに出てきます。山崎スーパー勤めと親しく話すようになり、家事など様々なことを教わるようになります。
見張り番を介してこうした交流が始まるとともに逃亡犯日置昭子の人物像も少しずつ明らかになります。
日置昭子と同級生だったという真下36歳は、日置昭子は勉強はできて学年で一番だったが、家業の建築業が倒産して、中学3年で親が離婚、高校を出て就職したと語ります。
また、日置昭子の罪状は横領であり、勤務先の登山サークル(なのか、それも一事業なのか?…)でメンバーからの注文や交通費や宿泊費をネット通販で購入してその差額を自分の口座に入れていたということです。ただ、10年間で1千万円横領したものの一銭も使われていないことが明らかにされます。
路地の入口の2軒続きの長谷川家は祖母が家を仕切っているらしく父母ともに影が薄く、娘の中学3年生が見張り番に出てきます。
長谷川家祖母には逃亡犯に対してなにかがあるようです。見張り番に出た中学3年生を問い詰めるような話の中で祖父のことを話し出します。家業の建築業は祖父が取り仕切っているように見えても実は祖父は無能でその経歴も詐称していた、それも自分がそうさせたのだと言います。つまり、家業の建築業は自分が頑張ってやってきたということであり、さらにあなた達が楽して暮らせるのも自分が頑張ってきたからだと言い放ちます。中学3年生は、祖母が逃亡犯のことを怖がっているように感じます。
ずっこけるようないい話(笑)…
逃亡事件そのものはといえば、丸川家同級生と小山家指導学生によって動き始めます。
丸川家同級生はネット上の3人チーム(丸山家中学3年は入っていない…)で対戦ゲームをやっており、その一人が親から閉じ込められるかもしれないと言っていることを心配し、ネットに上げている写真などからこの10家族が暮らす路地にたどり着きます。また、この丸川家同級生は日置昭子と従兄弟であり、子どもの頃から昭子ちゃんと呼んで親しくしており、今でも手紙のやり取りをしています。
そしてもう一人のキーパーソンである小山家指導学生は、進路がマスコミ志望であることから逃亡事件を取材しようとして日置昭子の父親が入院する病院にやってきています。ちょうどその時、日置昭子も父親からあることを聞き出そうとしてその病院に来ています。
病室の前には警官がいます。日置昭子は小山家指導学生が取材のために面会したいと警官と押し問答している姿を見ます。日置昭子は小山家指導学生に自分が病室に入るよう手助けしてくれたらその後洗いざらい話すので協力してほしいと取引を持ちかけます。
日置昭子が刑務所から脱走してまで入院中の父親に会おうとしたのはこういうことです。
22年前のこと、ある会社の自社ビル建設工事があり、日置昭子の家の会社と契約されることが決まっていたにもかかわらずその直前になって反故となったそうです。理由はもっと安くやる業者が現れたからです。その仕事には会社の再建がかかっていたために会社は倒産してしまいます。その仕事を横取りしたのが長谷川家の建設会社だったのです。日置昭子は工事金額が長谷川家の会社に漏れたためと考えており、その理由を父親に尋ねても何一つ話してはくれず、22年間ずっと心に引っかかっており、そのストレスから逃れるための横領だったということです。
で、日置昭子は小山家指導学生の協力を得て父親の病室に入り、
「しゃべれる?」
「…ああ」
「娘の昭子だけど、手短に訊きたいことがあってね」
「何を訊きたいんだ」
「二十二年前の工事の金額がなんで漏れたんだってこと、時間がないから早く言って」
「俺が教えた。長谷川の奥さんに」
「なんで?」
「愛人だった」
ずっこけました(笑)。
この作家はこういう展開をするのです。
さらに父親は
「妻の和代は体が弱い、長谷川は頭が弱い、こんな巡り合わせだったら、自分たちが一緒になったほうがうまくいく、あの奥さんが俺に言ったんだよ」
とまで告白します。結婚するつもりだったようですが、そうはならなかったのは長谷川祖母に騙されたということなんですかね。
解決編はファンタジー…
そして解決編、散りばめられたあれこれを回収する終盤1/3に入ります。
日置昭子には脱走の目的がもう一つあります。脱走に協力してくれた服役囚の友人から神戸の娘への手紙を頼まれているのです。その服役囚は日置昭子と同じように横領の罪で服役しており、娘に手紙を出しても受取人拒否で戻ってくると言っています。元夫はすでに再婚していると聞いているようです。
その神戸行きのお金を父親から取るつもりだったのですがないと言われ、小山家指導学生を騙して携帯と財布を取って逃げます。その携帯に従兄弟である丸川家同級生から電話が入ります。というのは、小山家指導学生は取材過程で丸川家同級生が日置昭子の従兄弟であることを知り一度会って名刺を渡しているのです。
作り過ぎていますがこういう話ですから気にはなりません(笑)。
で、さらにその日置昭子と丸川家同級生とのやり取りが丸川家で行われますので丸川家父がその一部を知ることになり、そこから丸川家父の人並み外れた(笑)推察力により日置昭子と丸川家同級生は長谷川家の倉庫で会うのだろうと推察し、長谷川家中学3年の娘に頼んで倉庫で待ち伏せすることにし、同時に10軒の家にもそのことを知らせます。
丸川家父の推測は大当たりで日置昭子がやってきます。丸川家父は倉庫のシャッターを開け、ライトで日置昭子を照らします。10軒の住人たちがやってきます。その中には長谷川祖母もいます。日置昭子は長谷川祖母に向かい、
「あんたですよね? 私の父親の愛人だった人」
「私は必死に生きてきただけよ」
長谷川祖母はそれだけ言って毅然として戻っていきます。
一見落着です。日置昭子の同級生真下家36歳は日置昭子を一晩泊めることにし出頭を促します。日置昭子は真下家36歳に服役囚の友人に頼まれていた娘への手紙を託します。
その後、丸川家妻は戻り、夫は先はどうなるかわからないが一緒にやっていけるかも知れないと希望を持ち、矢島家小学4年生は山崎家スーパー勤めから教わった料理の話をすることで母とも話ができるようになり、大柳25歳は幼女誘拐計画を思い直し(ちょっとファンタジーすぎる…)、小山家大学講師は小山家指導学生によるストレスも解消の兆しを見せることになります。
そして、丸川家同級生が閉じ込められるのではないかと心配して探していたゲーム仲間のもう一人は三橋家息子と判明し、その両親は子どもたちの説得で息子の神戸行きを許して心をあらためます。
真下家36歳が手紙を届けるために神戸へ行く用があるからとその子どもたちの神戸行きの送迎を買ってでます。
そして神戸、真下家36歳は目的の家を訪ねますが、出てきた女性はそんな人はいないと言い張ります。ことを察した真下家36歳はしばらく外で待ち、帰ってきたそれらしき中学生娘に声を掛け、これはお母さんからの手紙ですと渡します。
中学生娘は、
「知りませんでした、母が私に手紙を送っていたなんて」
と言い、手紙を受け取ります。
その時、真下家36歳は日置昭子のことを考え、「いつかは会えるだろう。幸せではなくても、最悪なわけではないどこかの時点で」と思います。