少しばかり偉そうなことを言えば、村上春樹は、この作品で、これからの彼の作風と言えるものをつかんだように思います。いわゆる村上春樹=ファンタジーってやつです。
これまで読んだ3冊(風の歌を聴け、1973年のピンボール、ノルウェイの森)は、ほとんど現実感はないとはいえ、それでも「僕」と「僕」の日常空間に存在しうる人物たちの話でしたが、この作品では、先生の秘書や羊博士や羊男など、笑ってしまうような人物を臆面もなく登場させています。まさしくファンタジーです。
まあそれにしても、相変わらず、都合よく人は死ぬし、と言うより殺してしまう(殺人ではない)し、都合よく問題は解決するし、本来きちんと描写すべき人物を途中で投げ出すように放り出してしまうし、と言った具合で、いわゆる推敲とか、しないんだろうかと疑問に思います。
たとえば、何かしら霊感を持つ素敵な耳を持つガールフレンドは、鼠との二人だけの対話のために邪魔だからといって、理由もなく消してしまい、その後全く登場させないとか、その彼女の描写も、「僕」にとって都合の良い話ばかりで、まるで人格が感じられないです。
これで4冊ですか…。次は、「世界の終りと、ハードボイルド・ワンダーランド」、今日借りてきました。まだまだ先は長いです。
でも、何となく、なぜ彼が今人気がある(のかな?)のか、漠然とですが、分かってきました。次は、そのあたりのことが書けるかも…。
以下、忘れないようにメモ。
・村上春樹には汚いことは書けない。
・村上春樹の書く男たちは、皆俗物になることを恐れる。
・村上春樹の書く女たちに顔はない。
・携帯小説的。