本当に人(私)の記憶はいい加減なものだ。「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか – 沈黙する言葉(旧)」で、村上春樹は手に取ったこともないと、わざわざ「ねじまき鳥」を取り上げて書いているのに、何と、読み始めてすぐにこの「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいることに気づいた。「閉ざされた路地」と言う設定で思い出した。
ただ、それ以外には思い出すことも少なく、読み進んでも、おぼろげに「そういえば何となく…」という程度だった。あるいは、途中で投げ出したのかも知れない。
で、「ねじまき鳥」。長けりゃいいってもんじゃないでしょう、春樹さん!
確かに、これだけの長編を書ける作家もそう多くはないでしょう。何かしら、その長さゆえに(人によっては)引き付けられるものもあるのでしょう。でもね、本当に、この作品に間宮中尉や加納姉妹や、え?加納姉妹?今気づきましたが、これって時代の先取り?ただ、文字は違いますが…、で戻って、その加納姉妹やナツメグシナモン親子の昔話やら逸話など、本当に必要なんですかね?
満州の話、冷徹なロシア将校の話、それらを「綿谷ノボル」の「心の闇」に結び付けようとしているのだとは思いますが、私には、ほとんど滑っているように感じられましたね。「綿谷ノボル」って何ですか? 実在ですか? 「僕」の妄想ですか?
いづれにしても、これだけの長さを経てこの結末は…、ちょっと寂しいでしょう。まあ、内容が、ツインピークスばりの、ん?ひょっとして何か影響されていませんか? まあ、それはともかく、そういった超常現象の話ですから、なかなか、結末は難しいとは思いますが、それにしても、気を持たせておいて、クミコさんの話は手紙で終わり? 綿谷ノボルは脳溢血か何かで倒れて終わり? ちょっとばかりいただけません。
つまらないことばかり書いていても仕方がないので、ここらで少しまとめると、
- またも、「僕」は、この世界で居場所を見つけられない、でもなぜかスイスイ生き抜いていく男です。
- 「女」たちのイメージは、これまた、またも娼婦か大人になりきれない少女です。
- 「羊」以来、意識下、夢、妄想といった非現実を扱うことが多くなっています。
- これまでの作品とやや異なっている点は、客観描写が少し加わってきていることです。多分、こういった記述が今後増えていくでしょう。
- 長編を書くコツを得た(ように私が感じる)分、ますます行間からは書き手の思念が消えていきます。文章以上の何も立ち上ってきません。
これ以上、村上春樹の長編を読んでも、得るものはないような気がしてきました。一気に「1Q84」に行きますか…。