しばらく前に最新刊の『だから日本はズレている』について下のように書いたのですが、読んだのはこちら『絶望の国の幸福な若者たち』が先で、まあどちらが先でもいいのですが、今ではかなり記憶も薄れてしまっていますので、ざっと読み返しながら書こうかなと思っているところです。
最初に読んだときも、そして今も思うのですが、よくもまあこれだけ過去の書籍やら新聞やら、とにかく「若者」に関する出版物や発言を調べてきたものだと思います。長文を引用することはないのですが、1ページに2、3ヶ所の引用などざらで、引用を「」でくくったり、丁寧に著作者や発言者のその時点での年齢と発言場所でしょうか、出身地でしょうか、地名を入れて、なおかつ下段に詳しい注を入れています。
全文検索できるデジタルデータでもあるのでしょうか。とにかく情報収集能力なのか、読書量なのかは分かりませんが、すごいと思います。
日本の若者は幸せだからです
NYタイムズの東京支局長マーティン・ファクラーさんの質問「日本の若者はこんな不幸な状況に置かれているのに、なぜ立ち上がらないんですか?」に対し、「はじめに」でこのように答えていますが、この本の答もこれそのものです。
もちろん脳天気にそう考えているわけではなく、当然ながら大人たちへの批判も含めた逆説的意味合いにおいての答ではあるのでしょうが。
ムラムラする若者たち
その「幸せ」な若者の正体を、大澤真幸氏を引用しながら、人が不幸だ思う時は将来今より幸せになるだろうと思える時であり、もはやこれ以上幸せになると思えない時に人は今が幸せだと答えると言い、それを「コンサマトリー化する若者たち」と説きます。
そしてもうひとつ、「友人や仲間の存在感が増してきた」ことをあげています。「まるでムラに住む人のように仲間がいる小さな世界で日常を送る若者たち」と表現しています。
かと言って、このままでいいと思っているわけではなく、「だけど、どうしたらいいか分からない。そんな若者たちをムラムラさせるような、分かりやすい出口があれば、喜んで若者たちはその扉を開けるのだ」そうです。
といった感じで、なるほどととてもよく分かる分析なんですが、古市さん自身も言っているように、そもそも「若者」なんて層自体が若者たちの間にあるわけでもなく、「若者」とくくってみたところで、ムラの住人もいれば、ポッチもいますし、いつまでも出口が見つけられない者もいれば、簡単に出口を見つけている者もいるでしょう。
そんな言い方をしたら身も蓋もなくなりますが、実はこの本、読んでも読んでも何かぼんやりとはっきりしないところがあり、結構面倒くさくなるのです。
まあ要は、私自身が「若者」ではなく、そしてまた、あまり興味もない(なら読むな、なんですが…)からかも知れませんが、それをおいても、結局古市さんの言っていることは現状容認から一歩も出られないのではないかと思います。
ひとつ、「相対的剥奪」という、さらに調べてみたい言葉に出会いました。
社会学ではよく使われるらしいのですが、「人は自分の所属している集団を基準に幸せを考える」らしく、つまり自分が関知できる範囲で相対的に自分の幸せを考えるということのようで、要は自分が貧困層に属していれば貧しくても結構幸せを感じられるという極めて不合理な感覚のことのようです。