「流/東山彰良」 エピローグの夏美玲(シャア メイリン)がかわいそうでたまらないなあ…

出だしでつまずき、これは読み切れないかもと思いましたが、中頃からはぐっと惹きつけられ、その後はあっという間でした。

流

 

つまづきかけた訳は、出だしの過剰な文章や語り口が受け付けなかったからです。こんな感じです。

 色の黒い年寄りがひとり、畦道に自転車を停めてじっとこちらをうかがっていた。白い顎鬚を生やし、濃緑色の上着におなじ色の人民帽をかぶっている。畦道の先には広大無辺の天地しかなく、あの自転車が空を飛べるのではないかぎり、わたしには彼がどこかへたどり着けるとはどうしても思えなかった。
  年寄りの来し方に目を転じる。茫洋たる荒野の彼方に鉄道線路がのび、芥子粒ほどの大きさの人々がうずくまっていた。(太字は私)

多くの作家、たとえば村上春樹ほどの作家でも書き出しにはむちゃくちゃ力が入るようです。なかなかさらりとは入れないものなんですね。

それともうひとつ、1/3辺りまでこの小説が一体どこへ向かっているのかうまくつかめなかったこともあります。結局青春物語だったのですが、一、二章あたりは蒋介石と祖父の死がらみの背景説明的な部分が多く、なかなか集中できず読み飛ばしたところもあり、それが後半でこれ誰だ?などと結局読み返すことになりました。

読み進むうちに、くどさも取れて読みやすくなってきます。話の軸となるのは二つで、ひとつは、台湾に生まれ育つ主人公葉秋生(イエ チョウシェン)の17歳(1975年)から30歳前半(1990年ごろ)までの青春成長物語で、もうひとつは、秋生が、殺された祖父葉尊麟(イエ ヅゥンリン)の隠された闇の部分を解きほぐして(明かすではない)いくミステリー的な物語です。

あえてミステリー「的」と書いたのは、さほどミステリーになってはいなく、どちらかといいますと青春成長物語の脇役的な感じだからです。

幼なじみの毛毛(マオマオ)との恋愛話や幼なじみの小戦(シャオジャン)との悪さの話が中心になってくる中頃からは俄然面白くなり、台湾=青春恋愛ものとの私の映画における位置づけをこの小説も裏付けています(笑)。

ただ、作者の東山彰良さん、本名は王震緒さんという台湾人なんですが、ほとんど日本で育ったような経歴になっていますね。こちらの記事には台湾メディアのインタビューに

私は台湾人からは日本人と認識され、日本人からは台湾人と認識されており、この認識の危うさが私の創作に大きな影響を及ぼしている

と答えているとあります。

この小説の中で結構印象的なのが、秋生がどこか悟ったような人生観を吐露する箇所が時々出てくるのですが、多分こうしたところから来る感覚なんですね。

その覚めた感覚が嫌味にならずちらちらと見えるところがこの小説の魅力になっています。

ということで、結構面白く読めたのですが、あえて言えば、祖父を殺した犯人との場面や毛毛とのことなど、すこしばかり中途半端に終わっているのが残念です。

新装版 逃亡作法 TURD ON THE RUN (上) (宝島社文庫)

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