久しぶりに吉田修一さんの本を読みました。
読み始めて、何やらデジャブ感を感じ、帯を見てみましたら「太陽は動かない」の宣伝、その中に「鷹野一彦」の文字、ん? この本の中の「鷹野」と同じ?と、ざっとググってみましたら、この「森は知っている」は「太陽は動かない」の続編らしく、というよりもプロローグ、前日譚の物語とのことです。
実は、「太陽は動かない」は、読み始めてはみたものの、冒頭からあまりにもフィクションくさく、違和感を感じて数ページ(だったかな?)で挫折した本なんです。
吉田修一さんの作風はと言いますと、割りと初期の作品からエンターテイメント性は強い方だとは思いますが、それでも必ず登場人物には日常との接点があり、その日常との折り合いの悪さが、その人物を危なっかしい行動に走らせるといった感じだと思います。
「太陽は動かない」(の書き出し)には、そうした日常との接点が、その予感すらも感じられなく、あえなく本は閉じられたままになったのだと思います。
今、作品一覧を見てみますと、読まなくなったと言いますか、新刊が出ても興味も持たなくなったのは、「太陽が動かない」で挫折した以降ですね。よほど冒頭の印象が悪かったんでしょう。
で、「森は知っている」、なぜ読み続けられたかは、多分、最初の章が「青春もの」であり、「脱出願望もの」だからだと思います(笑)。それこそが、私が(初期)吉田修一の持ち味だと考えていることだからです。
ということで、読み始めてしまえば、さすがに物語の運び方がうまいですので引きこまれます。それに、さほど深いところまで突っ込んで描いていませんし、所詮フィクションですので、あっという間、集中すれば2,3時間で読み終えられるでしょう。
読み物としても面白いです。
冒険ものやスパイものはあまり読みませんのでよく分かりませんが、多分、そうしたジャンルの小説からするとかなり雑な作りではないかと思います。プロットに緻密さもありませんし、心理的な描写もありません。
それでも運びがうまく感じられ、面白く読めるのは、詳しくは語られていないのによく分かるという感覚、つまり、まるでフィクションなのに、やはりどこかで日常につながっている感覚がベースに流れているのではないかと思います。
そして、鷹野の人物像、(この作品においてはですが)任務は的確にこなし、スパイとして優秀そうに語られているにも関わらず、その描写はほとんどなく、むしろ、本人の孤独や不安が主に描かれ、非常に危なっかしい青春ものとも読めるのです。
さて、この先、鷹野一彦はどうなっていくのでしょうか?「太陽は動かない」に再度挑戦です。