柄谷行人著『憲法の無意識』=憲法九条の文字通りの実行が世界同時革命の端緒となる

7月10日投開票の参議院選挙で「改憲4党が2/3をうかがう勢い」と、朝日デジタルが記事にしていましたが、「公明党」はいつのまにやら「改憲党」になってしまったんですね。

改憲4党、3分の2うかがう 朝日新聞・参院選情勢調査:朝日新聞デジタル

まあ、誰が見ても「憲法違反」である(要不要の話をしているのではない)自衛隊を海外での武力行使も辞さないところまで「解釈」でごまかしてきたこの国ですから、いまさら「改憲」も「護憲」もないのですが、それでもやっぱりいろんな視点からの情報を入れておかないとイギリスのようなことになってしまいます。

ということなのか、憲法関連の本が売れているそうです。この本、柄谷行人著『憲法の無意識』もかなり予約(図書館)が入っているようですのでそのうちの一冊でしょう。

1章、2章は、これまで読んだ柄谷行人さんの本にしては非常に読みやすく、一気に読み進んだのですが、3章でつまづきそうになりました。なぜかと思いましたら、そもそもこの本、講演の再構成本で、1章、2章が2015年、3章が2006年、4章が2014年の講演を元にしているそうです。

憲法九条は、日本人の集団的な超自我であり、『文化』である

1章、2章の何が面白かったか、まとめますと、まず最初に「憲法九条」について、

  1. なぜ、世界史的に異例なこの条項が日本の憲法にあるのか?
  2. なぜ、実行されないにもかかわらず、変更もされず残っているのか?

の問いを提示し、 まず2の問いに対し、フロイトの「マゾヒズムの経済論的問題」の

  • 最初の「欲動」の断念は、外部の力によって強制されたものであり、欲動の断念が初めて倫理性を生み出し、これが良心という形で表現され、欲動の断念をさらに求めるものである。

を援用し、

  • まず外部の力(占領軍の強制)による戦争(攻撃性・欲動)の断念があり、それが良心(超自我)を生み出し、さらに、それが戦争の断念をいっそう求めることになった。

とし、「憲法九条は、日本人の集団的な超自我であり、『文化』であり」、また「日本人の強い『無意識の罪悪感』であり、一種の強迫神経症」であると言います。

超自我という無意識に属することであるから、普段は表に出ることは少なくても、いざ、憲法九条改正を全面に出して選挙を戦えば、大敗することになり、(自民党は)それが分かっているので、選挙では決して九条改正をうたわないということになります。

憲法九条の先行形態は『徳川の平和』である

2章では、憲法の成立過程を検証しつつ、1の問い「なぜ、世界史的に異例なこの条項が日本の憲法にあるのか?」に答えようとします。

憲法九条の成立過程には、GHQ内の対立や米ソの対立などの要素が絡み合っているが、マッカーサーにとっては、

  • 憲法における第一義は、第一条*1であり、第九条は国際世論説得するための手段であった。

とし、その理由に、マッカーサーは、

  • 天皇をいただかない日本統治は、必ず天皇の名の下の対抗者が現れる。

ということを歴史の上から知っていたとします。つまり、マッカーサーは征夷大将軍となった徳川家康のようなものだったといいます。確かに、日本の歴史を振り返れば、

  • 藤原氏以来、日本の権力者は必ず天皇を仰ぎ、天皇の権威のものとに統治してきた。
  • 実は、象徴天皇というものが日本の統治の常態であった。

というのは、納得のいくことです。

また、つぎの点において、「徳川の体制は戦後の日本と酷似している」と言います。

  • 徳川の体制は、400年に及ぶ戦乱の後の『戦後』である。
  • 象徴天皇制
  • 全般的な非軍事化、武士の非戦士化

以上をもって(もちろん、もっと詳しい説明がある)、

  • 現行憲法の先行形態は、徳川の国政(憲法)である。
  • 敗戦が日本にもたらしたことは、明治維新以後、日本が目指してきたこと総体への悔恨であり、「徳川の平和」を破ったことへの悔恨である。

と結論づけ、「『徳川の平和』がベースにあったために、戦後『無意識の罪悪感』が深く定着した」ということです。

もちろん、憲法九条の理念が日本由来のものと言っているわけではなく、カントが「永遠平和のために」で明確に示した普遍的な理念であるとし、3章へ入ります。

日本が憲法九条を実行することが、革命です

3章は、さらに1の問いに答えるためにカントの平和論からの内容になりますが、ほとんど自身の著作『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて』の交換様式論と同じですので、憲法九条に関する結論だけ書きますと、

  • 憲法九条の「戦争放棄」は、国際社会に向けた「(純粋)贈与」であり、交換様式 D にあたる。
  • 贈与によって無力となるわけではない、かえって贈与の力を得る。

と言い、つまり、

カントの構想は、単なる理想主義ではありません。しかし、彼は、国家の軍事力や金の力を上回るような強い「力」があり得ることを示さなかったと思います。(略)実際、国連は無力であり、戦争を阻止するような力をもっていません。(略)私は、国連の根本的改革は一国の革命から開始できると思います。それが世界同時革命の端緒となるからです。

日本が憲法九条を実行することが、そのような革命です。(略)

日本が憲法九条を文字通り実行に移すことは、自衛権のたんなる放棄ではなく、「贈与」となります。そして、純粋贈与には力がある。その力はどんな軍事力や金の力よりも強いものです。(略)カントが人類史の目標とした「世界共和国」は、A や B や C に由来する力でなく、D、すなわち純粋贈与の力によって形成されるものです。

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

 

結論だけをみますと、 加藤典洋氏の「戦後入門」と近いものがあります。

第4章は別記事に書きます。

*1:第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。