たまたまではないとは思いますが、タイトルに「立憲」と入った坂野潤治さんの新刊が出ました。
明治維新から太平洋戦争敗戦までの70年余りを「帝国」と「立憲」という対立する概念からとらえなおそうという試み(のよう)です。
明治維新以降の日本が対外進出に着手した1874年の「台湾出兵」を「帝国」化の始まりと定め、一方、日本の「立憲」化を翌75年の明治天皇による「立憲政体樹立の詔勅」に始まるとして、その二つから明治以降の日本をとらえ直すとしているのですが、いやあ、初心者には難しいです。
内容が難しいのではなく、多くの政治家や官僚や軍人が出てきますので、それらが歴史の上で果たした(とされている)基本の情報を持っていないと読んでいてもなかなか整理されません。
ただ読み切って感じることは、「帝国」という概念は、そのもの帝国主義という、一定程度成熟した資本主義国家が海外へその利潤を求めて進出した国を植民地化していく行為ということでいいかと思いますが、「立憲」という概念が、今にいう「立憲」ということではなく、これがどうしても具体的に理解できなく終わり、結局、「立憲」=「反帝国」ということでしか理解できませんでした。
結局、太平洋戦争に国を挙げて突っ込んでいった日本であっても、帝国化と反帝国化のせめぎあいがあったわけですが、一旦戦争をおっぱじめてしまえば、一瞬にして「反帝国」は力を失い消えてしまうということです。
負けて自分が傷つけば、誰もが戦争をおっぱじめた当人を責めますが、でも、皆、無理やりぶんどった満蒙を「日本の生命線」と中国憎しと思っていたわけで、たとえ、心の中でアメリカとの戦争は無謀だと思っていても、真珠湾を奇襲し、大勝利をおさめたとの新聞を見れば心躍り喝采もしたのです。
現在に当てはめれば、「帝国」化の流れは、北朝鮮危機をあおる「安倍」であり、「立憲」はそれに抗おうとするある一定の国民の声ということになります。
しかし、この「立憲」が危ういものだと著者は言っています。
それにしても、この本を読みますと、明治以来、朝鮮、中国を見下す「日本」という概念に自分も含め我々はとらわれているのだと恐ろしくなります。
日中戦争は始めてはいけない戦争であり、それを謳歌する一九三七年以後の日本国民は、明治維新以来七〇年近く存在してきた日本国民とは、別の国民になってしまったように思われます。(246p)