平成31年、2019年の正月三日、ふと、名古屋城へ行ってみようと思い立ちました。
多くの人がそうかと思いますが、地元の観光地へわざわざ出かけるというのもあまりなく、実はよく知らないことも多いのではないかと思います。私もそうで、名古屋城の全体像はよく知りませんでした。
地下鉄市役所駅からスタートです。手前が名古屋市役所、その向こうが愛知県庁です。どちらも映画やドラマのロケ地として使われることがあるようです。
「@NAGOYA」インスタ映えするオブジェをということでつくられたものとの新聞記事かニュースを見た記憶があります。
「金シャチ横丁 宗春ゾーン」初めて来ました。観光客誘致の時代の流れか、河村市長の施策のひとつなのか、こういうものが増えてきました。
東門に向かいます。
東門から正面が天守閣、右が二の丸庭園です。
「二之丸庭園」回遊式の日本庭園だったらしいのですが、明治から昭和にかけて帝国陸軍の管理下に置かれ破却(破壊)されてしまったようです。奥の方に復元が計画されているような掲示がありました。
「二の丸茶庭」なぜ「の」がいろいろ変わるんでしょう?
マップの南蛮練塀にある「南蛮たたき鉄砲狭間」丸い穴から鉄砲で敵を狙うということでしょう。ただ、これが使われたことはないと思います。石造りではなく、もちろんコンクリートでもなく、何でしょうね、これ?
「埋門跡」説明文だけ撮って実際の場所を撮り忘れていますが(笑)、敵に攻め込まれてもうダメだという時に、城主がここから堀へ下りて逃げる場所ということのようです。堀への石段はありませんでしたが、それらしき石の切込みがありました。
堀が石垣の石で埋まっています。これ、何なんでしょう?
旧二之丸東二之門を入ったところの「清正石」
天守閣の石塁の構築を命じられた加藤清正は、巨石の運搬に際し、自ら音頭をとって、木遣(きやり)を歌わせ民衆の老若を問わず綱をとって運んだと伝えられていますが、この石垣の施工大名は黒田長政なので単なる説話と思われます。
とのことです。
天守閣と左が復元された本丸御殿の一部。あらためて見ますと、名古屋城の天守閣はでかいですね。
本丸御殿の正面? 何だかちゃっちいですね(ペコリ)。10年、20年経ないと風格は生まれないのでしょう。この行列に並ぶ気はせず、中はパスです。
現在の天守閣は、空襲で焼け落ちたものを昭和34年にコンクリート造りで復元したもの、耐震基準を満たしていない(のかな?)ことからか、木造での再建が計画されています。足場は石垣の調査のためのようです。
またも、堀に石垣の山ではなく、川?
「天守礎石」天守閣の北側にもともとの天守の礎石が移設されています。
青空に映えますね。
石垣調査のための足場が美しいです。
「西北隅櫓」期間限定で公開されていました。
戌亥櫓とも清須櫓ともいわれ、他の建物の古材を転用して建築されています。外部北面、西面に千鳥破風が作られ、「石落し」を備えています。
重要文化財からなのか、係員の方が(過剰ではないかというくらい)階段の昇り降りに、右側をとか、手すりを持ってとか、急ですからとか、気をつけてくださいとか、細かく指示をして、正直、かえって緊張して危ないだろ!と言いたくなるような丁寧さでびっくりしました。それに消防法とかで一度に9人しか入ることが出来ないということで、どんだけ危ないところかと思いましたら、おいおい、こんなしっかりしているのに何考えているの?状態で、まさか火が出たらということでもないでしょうにと、とにかく意味不明な対応の公開でした。
西之丸あたりから左が天守閣、中央が西南隅櫓です。
正門を出ました。普通はこちらから入るでしょう。
「金シャチ横丁 義直ゾーン」
おそらく再び訪れるのは10年後かという「名古屋城」散策でした。ただ、意外にもそれなりに見どころがあることにびっくりしました。