昨年末、一日中ただ本を読むくらいしかやることがない(できない)一日を過ごさざるを得なくなり、図書館で2冊借りてその日のうちに読んだものの1冊です。日常の会話文が多い小説ですのであっという間に読めてしまいます。
過ぎ去りしものは戻らないが…
柴崎友香さんの本は『春の庭』と『寝ても覚めても』を読んでいるだけですので、作家デビュー作が『きょうのできごと』であり、この小説がその十年後の物語であることも知りませんでした。
それに、そのデビュー作が行定勲監督によって2004年に映画化されていることも知りませんでした。見てみようと思います。
10年前は大学生だった数人の30代の物語です。そのひとりの中沢という男が京都で始めたスペインバルの何周年かのパーティーに皆が集まるという話で、そのうちの5人プラス1人の今が一人称で語られていくという短編の連作のような小説です。
5、真夜中の散歩 誰かのきょうのできごと
プラス1人というのは、他の5人とはまったく面識のないイトウという男の話ですのでそう表現したんですが、そのイトウの話が5番目に入っています。こういうところがうまい作家です。関係のない人物とは言ってもその物語に5人のうちの2人(けいとと真紀)を登場させて関連付けています。それもかなり強引に(笑)。
イトウは叔父(といっても28歳)の結婚式に出席するために東京から京都にやってきています。で、泊まる予定のゲストハウスに歩いて向かっている途中、たまたま橋に差し掛かって川を覗き込んでいますと、行き過ぎたタクシーが急ブレーキをかけて止まります。イトウの近くまでバックしてきたタクシーからふたりの女性が降りてきて、だいじょうぶ?と尋ね、無理やり乗っていきなさいと乗せてしまいます。パーティー帰りのけいとと真紀です。
ふたりはかなり酔っ払ってはいますが、まあ普通はありえません。でも、柴崎さんの語り口にかかりますとそれが自然に流れていきます。もちろん、それが自然に流れるような仕掛けを、イトウの雰囲気であるとか、イトウが出会うキノコ女子であるとか、いろいろ入れているからなんですが、とにかく、10年前の話には関係のない(多分)イトウの話が入っていることで小説の持つ意味合いが変わってきます。数段良い方へです。
1、空の青、川の青 けいとのきょうのできごと
10年前の大学は、記載があったかどうか記憶がありませんが、大阪だったと思います。10年後のけいとは東京の映画配給会社で働いています。
けいとと中沢は幼なじみです。けいとは真紀と待ち合わせをして中沢の店に向かいます。真紀と中沢は10年つきあって1年ほど前に別れています。この真紀と中沢の関係は、次が真紀のパートであることもあって小説全体の軸のようにもみえますが、なにかが進展することはありません。いや、進展するかもまではいっていました。
そうした別れというものも含めて、過ぎ去りし日々(青春)を懐かしむある種の切なさのようなものが感じられる小説です。
このパートのラストは、この作家らしい(笑)「できごと」が用意されています。ふたりが迷子のような子どもに声をかけていますと、その母親である日系ブラジル人の女性が子どもが誘拐されると騒ぎ出し、そこにその夫がやってきます。そして、その夫が10年前にも登場している西山であり、わー、懐かしい!となります。
さらに、その後、けいとが鴨川に落ちてずぶ濡れになるという「できごと」まで起こして終わります。いっきにかたをつけて次への話題まで提供しています(笑)。
2、あるパーティーの始まりと終わり 真紀のきょうのできごと
中沢の店のシーンですが、けいとは鴨川に落ちてずぶ濡れになっていますので、西山の妻から服を借りています。「赤と青と緑と黄色の模様のシフォンブラウス」にボトムは「白黒柄のショートパンツにゴールドのウェッジサンダル」、その上、髪まで巻いています。かなり目を引くでしょう。
真紀は百貨店で10年働いており、今、福岡に新規出店する子会社の営業企画部長への異動を打診されて迷っています。
パーティーのアトラクションで歌を歌うキカという女性が登場し、その女性が中沢と親しそうであることもあって、真紀の心中は穏やかではありません。そうした緊張感の中で、10年前にもおそらく登場しているであろうかわちや正道が登場して次へのフリになっています。
真紀の「できごと」は、そのパーティーに、結婚を前提にした付き合いを求められている一ノ瀬という男性も来ており、真紀は、福岡への異動か、一ノ瀬(東京)との結婚か、そして、中沢からは「真紀、おれは」「真紀と、もう一回ちゃんと話がしたい」と言われます。
「めんどくさい」
真紀が返した言葉です。ほんとうまいですね、この作家。
そして、ここにも中沢のパートへの振りが入っています。中沢はベンツを手に入れたとみんなに披露しています。
3、休日出勤 かわちのきょうのできごと
かわちは見た目が良い男性らしいのですが、逆に本人はそのことにしっくりきていないようです。つきあっていた女性と数年前に別れており、その女性に子どもが生まれたと聞いたことで心穏やかではなくなっています。
仕事上では、先輩に子どもが生まれると聞き、おめでとうと言ったものの、その先輩から「障害があるんや」と返され、とっさに「だいじょうぶですよ」と言えば、「おまえ、おれのなにを知ってるねん」と返されてしまいます。
どうやら、10年前、けいとはかわちに猛アタックしたようです。
もう10年前は戻らないということでしょう。
4、おれの車 中沢のきょうのできごと
中沢の家庭の事情や今の店を始める経緯が語られます。
そして、何周年パーティーも終わり、キカに誘われて、ベンツでファミレスへ向かいます。ただ、中沢は真紀に未練があるようです。真紀との10年間を思い返しています。
ファミレスに真紀とけいとがやってきます。そして坂本という10年前にも登場している(らしい)男もいます。坂本はタクシーの運転手をやっており、おそらくこの後、イトウを拾うタクシーというのは坂本が運転し、けいとと真紀が乗っているタクシーということだと思います。
で、この後がこの短編連作小説のクライマックスでしょう。中沢のベンツに見知らぬ車が突っ込んで炎上し燃えます。こういう突拍子もないことをさらっと入れる作家です(笑)。そして、中沢はほぼ鎮火した車のダッシュボードから四角い箱を取り出し、ぱかっとはいかず、なんとか開けますとダイヤモンドの指輪が入っています。
「ダイヤモンドって、八百度越えたら気化するはずなんやけどな。残ってたわ」
「あほやろ、あんた」とけいとが言います。
真紀は、困ったようなかなしいような、あきれたような、なんともいえない表情をしています。
6、小さな場所 正道のきょうのできごと
正道は大学の研究室に残って研究を続けている人物です。仲間たちが企業に就職したり、自分の店を持ったり、家族を持ったりする中でひとり取り残されているのではないかとの不安を感じています。
パーティーの後、西山とかわちと3人、鴨川の辺り、それぞれがそれぞれの悲しみを抱えています。
研究室に戻り、ひとり研究を続けていますと、キカがやってきます。キカは正道の大学の三回生です。キカはなにを考えているのかわかりませんが、正道に馴れ馴れしく接してきます。でも、なにも起きません。
そして、正道は中沢の店に自転車でいきます。中沢はパーティー後の店の掃除をしています。喧騒の去った深夜のバル、ふたりの男がコンビニで買ってきた発泡酒やアルコール飲料を飲んでいます。
「ベンツ燃えたんやって?」…「ふられたしな」…などととりとめのない会話が続きます。突然店に白い小型車が突っ込んできます。ベンツ(といっても中古の軽自動車並みらしい)をくれたおっさんが「中沢くん、ごめん」「落ち込んでたから、新しい車届けようと思ったんやけど」と言っています。
「店、どないしょ」と、おっさん。
「とりあえず、朝にならんとどないもなりませんねえ」と、中沢。
外は少し青色がかかり始めています。
夜は終わっていた。
今日はもう終わったんやな。
そうじゃなくて、とっくに次の今日がはじまってたんか。
人生は続く…
過ぎ去ったものはもう戻りませんし、今日という一日は何ものにも代えがたいものですが、今日という一日は今日だけで終わるものでもありません。
それにしても、柴崎友香さんは、突拍子もないことをさらりと入れ込んでしまいます。
『きょうのできごと』とともにもう何冊か読んでみようと思います。