金原ひとみ著『ナチュラルボーンチキン』

金原ひとみさんの最新刊(多分…)『ナチュラルボーンチキン』です。

作者自身の思いが溢れ出る…

この作家の小説はどれを読んでも生々しいです。物語自体が生々しいという意味ではなく、書いているその時々の作家自身の気持ちが溢れ出ている感じがするということです。

デビュー作『蛇にピアス』からの数冊とここ直近のものでは『ミーツ・ザ・ワールド』や『腹を空かせた勇者ども』などを読んでいるだけですが、そのレビューを書くたびに「心の奥底からほとばしるような文章を書く作家」と書いています。

『腹を空かせた勇者ども』のレビューはまだ下書きのまま一年くらい眠っています(笑)。

きっとこの作者にとっては書き始めれば言葉が湧き出てくるような感覚なんでしょう。必然的に自分の置かれている環境の中からテーマが生まれる作品が多くなるということです。この『ナチュラルボーンチキン』では40代の女性が感じる壁とそれを打ち破る姿が描かれています。

金原ひとみさんは現在41歳です。

Amazonオーディブルへの書き下ろしゆえか…

出版社の労務課で働く45歳の浜野文乃が文芸編集部の20代編集者平木真理と親しくなることで生活パターンが変わっていき、さらにその平木との関係からチキンシンクというバンドのボーカル「かさましまさか」と出会い、最後はいわゆるラブストーリーとはちょっと違ったラブストーリーで終わるという物語です。

浜野と平木が親しくなる発端は、平木が足の捻挫を理由に在宅勤務の延長を申し出てきたことに始まります。浜野は部長から平木の様子を見てきてくれと頼まれて平木のマンションを訪ねます。

同じ会社に勤めているといっても部署も違い年齢も離れていますので話したこともない二人の出会いから始まるわけですが、この出会いの場面、漫才のボケとツッコミのような語り口で無茶苦茶面白いです。多分、この小説が Amazonのオーディブルへの描き下ろしとして企画されたものだからだと思います。言葉のノリのようなものがかなり意識されています。

平木真理にしても「ひらきまり」ではなく「ひらきなおり」です。「かさましまさか」も逆から読んでも同じという回文(というらしい…)です。まあこれらも文章にしてしまいますとダジャレみたいなものでちょっと引きますが、テンポのいい話し言葉として耳に入ってくればまったく違う感じで受け止められると思います。

小説の書き出しは、その二人の場面の前に浜野の自己紹介的な文章から始まっています。やはり言葉のリズムがかなり意識されています。

一人きりでご飯も仕事も過不足なく、波風の立たないこの生活を始めて十年が経つ。趣味もなければ特技もなく、仕事への矜持もなく、パートナーや友達、仲のいい家族や親戚もペットもなく、四十五にして見事に何もない。あるのは順当に弛み始めた輪郭と、目立ち始めたほうれい線と目尻の皺と白髪、頬に浮き上がった肝斑、辛うじて老眼は始まっていないものの、やたら早朝に目が覚めるようになった身体。つまり加齢により引き起こされる変化だけが、私には確実に「ある」ということだ。

浜野はこの十年、完全にルーティン化した日常生活を送ってきています。職場との往復、日々の食事、食事後の動画視聴、それを繰り返すこと以外に自分のあり様がないという生活です。ただし、この十年ということに大きな意味があり、後半、かさましまさかと出会うことでそのことが明らかにされていきます。

一方の平木は

短パンにパーカー、しかもパーカーの紐を蝶々結びにしてガラガラと音を立てるスケボーに悠然と乗りながら、ちょうど掛かってきたのかスマホを耳に当て、「No way!」みたいな吹き出しをつけたくなるようなカラッとした笑顔で話しながら横断歩道を滑る

ように通勤してくる人物です。

ということで浜野が平木のマンションを訪ねるわけですが、てっきり浜野は適当に用を済ましてさっさと直帰するんだろうと思っていましたら、さすがにそれじゃ話が進まないわけですので(笑)、浜野に労務課職員としての意地が芽生えて平木の嘘を暴こうと部屋の中にまで入り込むという展開になります。

小説冒頭に描かれる浜野の人物像からはやや違和感もあるのですが、ついつい平木のペースにハマり、ちょっとだけ自分のことも話すことになり、平木のもとを去るときには「楽しい、とは違うけれど、足を踏み出すたび体にこびりついていた泥が乾いて動くたびにパラパラと落ちていくような、そんな爽快さがあった」と感じます。

この出会いを機にその後職場でも平木がランチを誘いに来るようになります。そしてある日、ライブに誘われます。かさましまさかがボーカルの「チキンシンク」のライブです。

お付き合いしていないという体のお付き合い…

どんなライブかも知らずにいった浜野は衝撃を受けます。

「チキンシンク」はヘヴィメタ系のバンドでしょうか、「バイブス」「モッシュ」「ダイブ」という言葉で表現されています。そして、わけもわからないままにもみくちゃにされた浜野は「私は常々心が揺らがない、平穏な状態を求めているにもかかわらず、チキンシンクで心が揺らぐどころか、心をシェイカーに入れられてぐわんぐわんシェイクされてしまったような心地だった」となります。

さらに浜野は打ち上げにまで参加し、かさましの隣りに座ることになります。平木がチキンシンクの知り合いであり、また、後にかさましが語ることになりますが、かさましが平木に浜野を連れてきてほしいと頼んだからです。

かさましはライブ中とは別人のようにですます調のていねいな言葉で話し、気遣いを忘れない41歳です。チキンシンクを始めて24年ですと言い、浜野が家族のことを尋ねますと何のためらいもなく父親痴漢で母親ガチカルトですと答えます。そしてまた、実はかさましは浜野が働く出版社でアルバイトをしていたことがあるとも語るのです。

浜野にとってかさましは好人物だったということです。

ということで、ここまでおよそ1/3です。これ以降はLINEでのやり取りに始まり、平木とバンドのメンバーひとりを加えた4人での食事会が入るなどして二人の交流が描かれていきます。その中で、十年前浜野に何があったのか、そしてなぜかさましは浜野に会いたがっていたのかが明らかにされていきます。

ということなんですが、実はこれ以降がかなり冗長なんです(ゴメン…)。ただこれもオーディブルでしたらこれくらい同じことの繰り返しのほうが理解度が上がるのかも知れません。早い話、中学生の恋愛が大人の言葉で繰り返されているような感じなんです。

「(略)僕が普通に今好意を持っているからです」
「え、まさかさんは私に好意を持っているんですか?」
「え、そういう話でしたよね? どうしてそこまでしてくれるんですかって」
「いやまあそうなんですけど、えっ好意を持っているんですか? 好意ってどんなタイプの好意ですか?」
「それはまあ、好きだなあという感じの好意です」
「野暮ですが、それはモンハン好きだなあとか吉野家の牛丼好きだなあとか、(略)」

こんな感じでどんな「好意」を突き詰める話から、お付き合いしましょう話になり、じゃあどんなお付き合いなのかなどという会話が続くんです(笑)。

で、結局「お付き合いしていないという体のお付き合い」ということで落ち着きます。はあ?(笑)

浜野、十年前の悪夢がよみがえる…

最初にラブストーリーという言葉を使いましたが、この体に倣って言いますと「ラブストーリーという体ではないラブストーリー」という言い回しが正解で、二人の関係が大きく変わることが小説の主題ではなく、かさましとの出会いによって浜野が心の奥底に押し込めていた十年前の自分自身に向き合い、それを乗り越えていくということがこの小説の主題であることがみえてきます。

浜野は十年前まで同じ会社の文芸編集部に所属し、また同業他社の5歳年上の編集者と結婚していたのです。そしてかさましはその頃2年間ほど編集部のアルバイトをしていたということです。浜野がなぜ気づかないかはかさましの風貌があまりにも変わっていることとその頃浜野がとても大変な状態にあったからです。

浜野は元夫について、優秀な編集者で実際なんでも知っている人だったと語り、対等だと思っていた関係がじつは対等ではなく、

彼にとって私の価値は、自分より若く、でも若すぎない、自分以上には頭が良くなく、でも悪すぎない、それなりの自立をしていて、でも自立しすぎていない、というちょうど良さにあったことは間違いない

と感じていたと言います。

そして、これはかなり唐突ではあるのですが、浜野は子どもを産まなくっちゃという強迫観念に駆られるようになります。あまりセックスに積極的ではない夫に対して矛盾を感じつつも妊娠可能日には自分からセックスを誘うことを繰り返します。しかし妊娠しません。そして不妊治療です。夫は不妊の原因は女性にあるかのような態度を取り続けたと言います。不妊治療でも妊娠せず、体外受精を試みることにします。

このときでも浜野は仕事を続けており、職場ではそれと知られないようにしていますのでストレスから相当視野が狭くなっている状態だったと思われます。

胚移植が成功して着床します。浜野に安寧の時が訪れます。しかしそれもつかの間、仕事中に出血があり、慌てて打ち合わせと称して病院に駆け込むも胎嚢の成長が止まっていると通告されます。

その後も体外受精を試みますが成功せず、そして何回目かの採卵の日、夫が「高畑さんが死んだ」と言います。高畑さんというのは、浜野が夫と知り合ったときの担当作家です。夫には思い入れのある作家であり、まわりが怪しむほどの親密な付き合いをしているようです。今日が通夜で明日が葬式だと言います。

この場面、もう少し書き込むべきじゃないかと思いますが、これもオーディブルならこの程度かなという感じです。

浜野の頭の中にあるのはその作家の死ではなく、今日は採卵の日だから夫から精子をもらわなくちゃいけないというそのことだけです。浜野は「それで、え、どうするの?」と尋ねます。夫は通夜や葬式のことを聞かれていると思って答えます。でも浜野は「え、今日採卵と採精の日なの覚えてるよね?」と言います。夫は「今日病院でオナニーしろって言うの?」とギョッとしたような顔で答えます。

「ふざけないでよ! ここまで私にばっかり辛い思いをさせて、全部私に押し付けて! あんたはオナニーして静止出すだけのことができないの!? もうこれはそんな次元の話じゃないんだよ! そういう域はとっくに超えてるんだよ! いい加減わかってよ!」
「(略)光生(夫の名前…)の責任は、精子を出すことでしょ? 光生の精子を出すことは光生にしかできないんだよ? 本当に絶対に無理っていうならもう光生なんかいらない! そこらへんの男の人捕まえて精子だけもらって届けてくる!」

離婚、そして浜野は自ら労務課に異動しルーティン生活に入ります。そして十年が経ちます。

ラブストーリーという体ではないラブストーリー…

心の奥底に押し込めていたものが溢れ出しますと人はパニックに陥ります。かさましとの出会いが浜野の心の奥底を揺さぶります。

ある日、浜野は一度もしたことのない LINE通話のボタンを押します。ここではかさましに癒やされるだけですが、こうした十年間のルーティン生活を突き破る一つ一つが浜野に自らの過去を呼び覚まします。

実はかさましは浜野が最も辛い思いをしていた十年前のことをよく知っているのです。つまり、かさましには芸能編集部時代の浜野が気になる存在だったということです。結婚していることも、そして不妊治療をしていることも知っていたと語ります。いつもは規則正しい出退社をしていたのに無茶苦茶不規則になったこと、机の上に置かれた浜野の手帳に書かれていた文字がちらっと目に入ったこと、そして浜野がトイレで泣いている声を聞いたことがあると言います。

浜野の記憶の中のアルバイトの男と目の前のかさましが一致します。そして(ちょっと省略しているけど…)浜野の記憶の扉が開きます。あの日、パニック状態の浜野は出社できる状態ではなく編集部に電話を入れているのです。出たのはアルバイトのかさまし(本名松阪…)です。

「わかりました。出社なしですね」
「……なしです」
「了解です」
「あ、あの、松阪さん」
「はい」
「精子くれない?」

この後浜野は我に返り忘れてくださいと電話を切っているのですが、かさましが「精子のこと、嫌じゃないです。どこへ行けばいいですか?」と折り返してくるという、ちょっと引いて考えればかなり気持ちの悪い話になっています(笑)。

まあ兎にも角にもそれも十年前の話ですので、浜野は「ごめんなさい」と涙を流します。かさましは「いいですか」と聞いて浜野を深く抱きしめます。

そしてふたりは新婚夫婦のように並んでラーメン(事情は省略…)をつくるのです。

浜野は、疲れましたよね、僕が作るので休んでいてくださいというかさましの、赤ん坊みたいなおじいさんみたいな微笑みを浮かべこの世の全てを認めるように頷く姿を見つめるのです。

この作家の20年後の作品が読んでみたくなります。