何かと話題(ちょっと古い)のポテトサラダ、作ってみました。
何が話題かご存じない方のために説明しますと、発端はこちらのツイートです。
「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。
私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら。— みつばち (@mitsu_bachi_bee) 2020年7月7日
このツイートには現在の日本が抱える様々な問題が詰まっています。
まずは、「母親なら」という言葉に如実に現れているように、家事子育ては女の仕事という価値観を持つ人がいまだにいるということ。これがこの論争の一番のポイントだと思います。
そして、この言葉の主が見ず知らずの高齢の男性という点。この男性、自分の価値観を他人にまで押し付ける価値観の強要しているわけですが、実際に高齢の男性に多いかどうかなど統計の取りようもないにもかかわらず、そう言われるとなぜか納得してしまいます。
私は、自分の価値観と違う他人の価値観が気になってしまうこと自体にはさほど年齢や男女の差はないようには思いますが、もしこうした人物が高齢男性に多いとするならば、それは長らく、そして今なお日本の社会が男性社会であり、日本の組織が年功序列制度をとってきた結果じゃないかと思います。
ひとことで言えばマンスプレイニングということでしょう。
若干意味合いは異なりますが新型コロナウイルスでは自粛警察なんてのもいるようで、私は目撃したこともありませんが、漠然と高齢男性をイメージしてしまいます。
で、この論争は、さらにポテトサラダって作るのは意外と面倒で作ったことないから言えるんだと、自分のレシピまで公開する人が現れているということです。
で、ポテトサラダつくりました。
が、なんと、じゃがいもを2個茹でて取り出してすぐに、熱い!熱い!と言いながら皮をむき崩してみればそのうちの1個の中が腐っているではありませんか! 外からの見た目には気配も何もないのですが、切ってみれば、多分虫食いですね、1/3ほどが腐った状態になっており、そのまわりも妙に固くて使い物になりません。写真撮ればよかった。
ということでじゃがいも少なめのポテトサラダになってしまいました。