吉田修一さんの『犯罪小説集』という小説が「楽園」というタイトルで映画化されると知り、読んでみました。映画は見ていませんが、以下、小説からの想像でネタバレ的な内容がありますのでご注意ください。
それぞれ犯罪絡みの5つの短編で構成されています。5つに関連があるわけではなく、すべて単独の物語です。
「青田Y字路」「曼珠姫午睡」「百家楽餓鬼」「万屋善次郎」「白球白蛇伝」とかなりタイトルに凝っています。全て5文字ですね。
「あおたのわいじろ」「まんじゅひめのごすい」「ばからがき」「よろずやぜんじろう」「はっきゅうはくじゃでん」とふりがなが振ってあります。
この短編集をどうやって映画化するの? と思い、公式サイトのストーリーを読みますと、どうやら「青田Y字路」と「万屋善次郎」をひとつの物語に構成してあるようです。多分、他の三作品は入っていないでしょう。
この原作を映画化するのではあれば正解だと思います。他の三作品は、正直なところつまらないです(ペコリ)。さらに言えば、きっちり読ませる作品になっているのはひとつ目の「青田Y字路」だけで、「万屋善次郎」もどちらかといいますと物語が説明されていく語り口ですので、かなり散漫な作品です。数人が惨殺されるという結末がありますのでそれが映画になりやすかったのでしょう。
『犯罪小説集』とはなっていますが、ネタ帳の延長線上にあるような作品群です。
「曼珠姫午睡」は、40代後半の専業主婦の妄想物語です。小中学校時代の同級生が痴情のもつれから殺人(幇助だったかな?)で逮捕されたことを知り、現在の自分自身の持つ不満やら不安が絡み合って、その同級生の過去を追っかけるという話、というか、何を書きたいのかよくわからない作品です。
「百家楽餓鬼」は、金持ちの家に生まれた某企業の跡取りの男が、マカオで賭博にはまり、没落していく話なんですが、ほとんど書き込まれていないので、単に馬鹿な男の話としか読めない物語です。
「白球白蛇伝」も、同じような男の話です。野球選手の話で、ドラフトで某球団に入団し、一時期は活躍するも怪我のために数年で退団、過去の栄光が忘れられず、プライドも捨てられず、借金に借金を重ねて自滅していきます。スポーツ記者の取材視点で書かれているせいで物語に深みが足りません。
ということで、どう考えても、映画化するならば「青田Y字路」しか残りません。これは結構吉田修一さんのパターンといいますか、物語の設定がとてもらしい感じの話です。
田舎町の祭り会場、それを仕切る顔役的な人物、まつり会場でバッタ物を商う母と息子、そうした設定の中で起きる少女誘拐事件、こういうのはお得意のパターンだと思います。
その顔役的な人物の孫娘が学校からの帰り道に行方不明になります。Y字路の用水路でランドセルが見つかったところで前半が終わります。あまり深くは書かれていませんが、バッタ物を売る息子が怪しいのではと思わせています。
その少女が見つからないまま10年が過ぎ、再び別の少女が行方不明になります。
町の住人たちで捜索隊が結成されます。10年前の誘拐事件の記憶と相まって、捜索隊は次第に興奮状態になっていきます。誰かのちょっとした一言が火をつけ、犯人はあのバッタ物を売る息子に違いないとその住まいに押しかけます。一旦火のついた群衆は暴徒化していきます。何の証拠もない男を犯人と決めつけ追い回します。油そば屋に逃げ込んだ男は油を撒き火をつけます。
同じ頃、行方不明の少女が見つかったとの知らせが入ります。
という話で、映画では、顔役的な人物五郎を柄本明さん、バッタ物を売る男豪士を綾野剛さんが演じるようです。小説では、豪士の母親は中国かフィリピン出身で農家の男と嫌婚するために来日したが破綻し、その後も他の男と暮らしたりしているという設定になっています。いわゆる人身売買的に日本に来ざるを得なかったという女性です。
おそらく映画は後半を中心に描かれていると思いますが、行方不明になった五郎の孫娘と最後に一緒にいた少女紡の10年後を杉咲花さんが演じています。
紡は行方不明になった少女と最後にY字路で別れています。理由は書かれていませんが、なんとなく気まずく別れているようですので、そのことがずっと気にかかっています。小説ではこの紡の描写はほとんどありませんので、多分、映画ではここを膨らませているのではないかと思います。
「万屋善次郎」も、ある種群集心理ともいえる村八分が題材になっています。
善次郎は、もともと母親の介護のために都会から田舎に戻ってきた人物です。すでに母親は亡くなっており今は一人で暮らしています。善次郎は養蜂業を始め、それで村おこしをしようと皆に勧め、積極的に役所に働きかけたりします。
しかし、ちょっとした行き違いで他の村人たちとうまくいかなくなり、善次郎は村八分にあいます。それが原因で誰とも会うことなく引きこもってしまいます。
そして、惨殺事件が起きます。村人数人が殺されます。ただ、一切描写はありません。突然、記者視点の記述になり、村人へのインタビューのような描写になります。
と、この『万屋善次郎』も掴みどころのない話ではあります。
映画では、善次郎を佐藤浩市さんが演じています。映画のストーリーには、「その惨事を目撃していた田中善次郎(佐藤浩市)は、Y字路に続く集落で、亡き妻を想いながら、愛犬レオと穏やかに暮らしていた。」となっています。その惨事とは豪士が町の捜索隊に追われることを指しているようです。おそらく、ラストはこの2つの物語を関連させて群集心理の恐ろしさでまとめられていくのではないかと思います。
瀬々敬久監督の映画は、いくつかの物語を同時進行させ、最後にそれらを関連させて終えるというものが多いです。