安倍晋三氏が奈良市の大和西大寺駅近くで選挙演説中に銃撃され死亡したのは2022年7月8日、事件からまだ1年5ヶ月くらいです。なのに、なんだか遠い昔の話のような感じさえします。事件に関する報道が少なくないでしょうか。よもや安倍晋三氏のことには触れちゃいけないことになっていないとは思いますが、どうなんでしょう。
山上徹也と日本の「失われた30年」
この本は、あとがきによれば、事件から17日後に「デモクラシータイムス」というインターネットメディアで企画された池田香代子氏と五野井郁夫氏の対談に両氏の新たな論考を加えたものということです。
プロローグは池田香代子氏の執筆パート、第一部が両氏の対談、第二部が五野井郁夫氏の執筆パート、そして第三部には山上徹也被告が2019年10月13日から2022年6月30日までにツイッターに投稿した1364件のツイートが掲載されています。そのツイートには解説文のようなものがありますが、執筆者は五野井氏なんでしょうか、記載はありません。
そもそもの対談は、池田氏が五野井氏に声をかけたらしく、そのわけは「山上被告の境遇とはかなり違えど宗教二世という共通点ゆえであり、他方で五野井が引き受けた理由は、山上被告の境遇を知るうちに、これは他人事ではなく自分は運がよかったに過ぎないと感じ」たからだと、同じくあとがきにあります。
その文章からはどちらが宗教二世なのかわかりませんでしたが、五野井氏の方ですね。それに宗教二世ということはこの本に関する限りほとんど関係ありません。
また、「池田の論考は山上被告と同じロスジェネ世代の子を持つ母として、これまで成長を見守ってきた我が子の生きてきた風景を池田が振り返る中で書かれた」ともあります。
壮絶なる山上徹也の人生
この本全体としては、五野井氏が山上被告と同世代ということで、山上被告の行為を単に統一教会への恨みだけではなく、「失われた30年」という言葉に象徴される、バブル崩壊後に社会に出た世代が持つであろう共通意識から読み解いてみようという視点でまとめられています。
頻繁に出てくる「ジョーカー」というキャラクターへの共感や感情移入する意識がそれです。
ただ、事件を単に犯罪という視点だけではなく大きな時代の流れの中で捉える学者的考察としては理解できるにしても、山上被告のたどってきた人生を知れば(と言っても読んで知るだけですが…)、いやいや、それは考え過ぎで、たとえ山上被告が10年早く生まれていても、あるいは 2000年前後に生まれたZ世代だったとしても、この人生なら何らかのかたちで一線を越えていたのではないかという気もします。
それだけ凄まじい過去です。山上被告だけではなく、母親の人生もです。
山上被告は1980年9月10日に生まれています。生活環境などをのぞいた事実だけをみてみますと、
- 1981年、徹也1歳の頃、母親の母が白血病で急死
過去には、母親が中学2年の頃、弟が交通事故で死亡
また、徹也と一つ違いの兄はリンパ腫のため抗癌剤治療で片目を失明 - 1984年、徹也4歳の時に父親が飛び降り自殺
その後、母親が統一教会に入会
夫の生命保険金6000万円を2000万円、3000万円、1000万円と献金 - 1998年、徹也高校卒業、その後、消防士を目指すも極度の近視で不合格
母親が実父(徹也の祖父)の土地を売却(どこへかはよくわからない)
母親の実父死亡
母親が実父の建設会社の代表取締役に就任 - 1999年、母親が自宅を売却
この頃、4000万円以上を献金 - 2002年、徹也は任期制自衛官になる
母親が自己破産 - 2005年、徹也25歳の時、徹也自殺未遂
(保険金で兄と妹を助けたいと語ったとの叔父の弁) - 2009年、徹也29歳の頃、統一教会との間で5000万円を返金するとの合意書を交わす(誰が合意書を交わしたのかはよくわからない)
- 2015年、徹也35歳の時、兄が自殺
- 2022年7月8日、徹也42歳、安倍晋三氏を射殺
こうした人生を歩んできた山上徹也を、それこそ単純に同世代だからといってロスジェネ世代として語るのは乱暴じゃないかと思います。まずは何をおいても統一教会との問題でしょう。
少なくとも母親が統一教会に入信していなければまったく違った人生を歩んでいることは間違いないですし、だからといって、母親にすべての責任があるとも言えません。当たり前ですが、人間の行動の源は常に複合的です。ですので、山上被告が自分自身をロスジェネ世代と自己認識することで「ジョーカー」的意識を持った可能性はもちろんありますし、同世代の犯罪がきっかけになったことだって考え得ることです。
ただ、いずれにしても第一義的には統一教会の、言ってみれば人の弱みに付け込んで金を巻き上げるという詐欺行為に問題があることは間違いありません。そしてまた、そうした団体を政治権力を維持するために利用し温存させてきた岸信介から安倍晋三にいたる岸・安倍一族を中心とする右派政治家たちの責任は大きいと言うことです。
そしてもうひとつ、この事件を契機に安倍晋三氏が統一教会傘下の団体、天宙平和連合(UPF)の集会へビデオメッセージを送った映像が頻繁に流されましたが、この映像は事件の前からネット上では拡散されています。安倍晋三氏は、少なくとも2006年にもこの団体に祝電を送っていますし、それ以降安倍晋三氏だけではなく自民党の、安倍氏周辺の議員が統一教会関連の団体の協力を得て選挙活動をしていることは多くのメディアが知っていたと思われ、報道関係者の権力におもねる的自己規制、あるいは本来メディアが成すべき権力監視意識の欠如はなかったのだろうかと思います。ジャニー喜多川事件と同じような構図はなかったのだろうかということです。
五野井氏のツイッター分析
五野井氏が言うところの「失われた30年」とは、1990年代初めのバブル崩壊から今に続く経済の低迷期を指し、それによって、就職試験を何社受けても内定をもらえないといった就職氷河期となり、その結果、契約社員などの不安定雇用のまま今にいたる世代がいるということです。
1993年に大学を卒業したとしますと現在52歳、2005年卒業ですと40歳です。高卒で働き始めたとしますと、現在36歳から48歳の世代が就職氷河期に相当します。山上被告は現在43歳、まさしくこの世代ということになります。
ですので、単純に経済的な面だけで想像しますと、仮に山上被告が安定的で満足できる収入を得ることが出来ていればまた違った人生を歩んだ可能性はあるとは思います。実際、兄や妹も含め、常時かなりの困窮状態だったようです。
もちろん、人の人生は金銭面だけで決まるわけではありませんので、たとえば、家族関係や友人関係など、山上被告の場合であれば、母親と縁を切ることができたかとか、兄や妹のことをどう考えていたかなど、そうした面のほうが大きく影響したであろうとは思います。
五野井氏はそうした精神面を山上被告の1364件のツイートから読み取ろうとしています。
ただ、ツイッターへの投稿から真意を読み取るのは難しいですよね。短文ですし、何に反応しているのかわからないこともありますし、即応性が高いゆえに直情的になりやすいですし、その反面気取ったことを書く傾向が強い媒体です。人間、直情的なものが真意というわけではなく、仮にカッとなったとしても少し間をおいて考えればなぜこんなことにカッとしたのかと思うこともあります。
で、五野井氏は山上被告のツイートから読み取ったものとして、
- ノーフューチャー感、いわゆる絶望感
- 嫌韓、ネトウヨ的意識、おそらく統一教会憎悪から
- ネオリベラル的自己責任論と弱者自認
- インセル? ミソジニー?
などを上げていますが、どうなんでしょう、結局のところ、これは五野井氏の現代社会に対する認識に山上被告のツイートを当てはめて読んでいるだけじゃないんですかね。というよりも、こういった価値観、感覚、感情、そういったものは、ロスジェネ世代に特に強いのかも知れませんが、社会全体に蔓延しているもので、山上被告に特徴的なものではないと思います。
はたして運なのか?
五野井氏の言葉として「自分は運がよかっただけ」、つまり自分も同じロスジェネ世代であり山上被告になり得たということですが、いやいや、運ではないでしょう。五野井氏の父親は歴史学者であり、東京大学の名誉教授の五野井隆史さんという方です。
五野井氏には学びたいと思えば学べる環境があったということです。山上被告には学びたいと思ってもその環境がなかったということです。仮に山上被告にその環境があれば母親から離れることだってできたかも知れません。
政治家にしても、経済人にしても、芸能人にしても、文化人にしても、五野井氏のような学者にしても、二世、三世という人はとても多いです。学者の場合は親が学者だからといって学者になれるわけではありませんが、重要なのは環境です。
家庭環境が子どもの人生を決定づける度合いがどんどん強くなっているような気がします。たとえば、家に本がなければ子どもは、本など知らずに、つまりは文字情報に触れることなく、極端な話、ゲームやアニメだけで育っていきます。もちろん子どもであっても人それぞれですので、周りに本がなくても本に興味を持つこともあるとは思いますが、言葉に触れなきゃ言葉は覚えられません。言葉を知らなきゃ知りうる情報も限定的です。
生まれた瞬間に将来が決まってしまう社会になりつつあるということです。親が属する階層から抜け出すことがとても困難な社会になってしまいました。
話が山上被告から離れてしまいましたが、やはり山上徹也被告の事件は、とにかくまずはこの事件によって白日のもとにさらされた統一教会と政治家の関係を徹底的に追求することだと思います。