まずもって、上の楽天へのリンクを作成する際、検索ワードに「1Q84」と入れて驚いた。「〜を読み解く」やら「〜研究」やらと解説本がぞろぞろ出てくるのだ。単に一作品の出版にとどまらず、一大産業の如しだ。
それはさておき、「風の歌を聴け」以来、主だった長編作品を順番に読んできたのだが、
「村上春樹」の検索結果一覧
ついに、国境の南、太陽の西で力尽き、数作品の中抜きで「1Q84」を読むことにした。
現在のところ、BOOK1を何とか読み終え、BOOK2の1章を終えたあたりにいる。BOOK1を読み終えたにしても、相当集中力を欠き、その間、全く別の2冊を読んでいる。なぜこれほどに集中できないのか?
ことは簡単、つまらないのだ。
あらためて考えてみれば、そのつまらなさは、ハリウッド映画のつまらなさに似ている。思いつくままにあげてみると、
- 内容がないのに(笑)、話題性は豊富で面白いと思われている。
- ハリウッドにリメイクが多いように、村上春樹の作品には現実の後追いが多い。
- 極めて大層な問題提起をしておきながら、ラストは男女の恋愛で終える。
- 人物描写が薄っぺらく、ハリウッドでいえばステレオタイプ、村上春樹の場合はどの作品も同人物の如し。
- 女性の描き方が差別的。最近のハリウッドはそうでないものも多いが、村上春樹の場合は娼婦イメージと大人になりきれない少女イメージの2パターンのみ。
「1Q84」で言えば、全て現実に起きてしまったことを下敷きにしている。オウム、ヤマギシ会、エホバの証人、連合赤軍。もちろん、現実に起きてしまったことを小説の題材にすることに問題はない。しかし、今のところBOOK1しか読んでいないが、それらに対する深い洞察は全く感じられず、たとえば、チリ銅山の落盤事故の上映権をハリウッドがどうこうしたというレベル以上のものはない。この先、最後まで読み進んだとしても、期待は出来ないだろう。
その理由のひとつは、多分この小説が、「青豆」と「天吾」の恋愛小説だと思うからだ。まだBOOK1の段階ではそれほど進展していないが、同時進行の2つの物語を結びつけるにはそれしかないだろうし、さらに想像を働かせれば、あるいは「青豆」と「天吾」の2つの物語の内、「青豆」の方は「天吾」の書いている長編小説の中の話かも知れないとも思う。
それにしても、これだけ嫌ってくると(笑)、わざとらしいネーミングも腹立たしく感じられる。BOOK? 1Q84? 青豆? ふかえり? さきがけ? これらも、内容がないのに話題性は豊富ってことの現れだろう。もちろん、ハリウッド的販売戦略がその極みだが。
もし、最後まで読み切れたら、「村上春樹がつまらないワケ2」を書こう。