芥川賞受賞作の『破局』を読んで「今どきの才能」を感じると書いた遠野遥さんの芥川賞受賞後二作目『浮遊』です。
実在感がないという意味では浮遊しているが…
この小説も「気持ち悪い」ですね。
気持ち悪いというのは、『破局』を読みながら感じたことで、その書評には
主人公である「私」の人物造形が気持ち悪いのです。「私」という人物には、実体感と言いますか生命感が感じられません。
(遠野遥著『破局』感想・レビュー・書評・ネタバレ)
と書いています。
この『浮遊』の主人公「ふうか」も同じように実在感がありません。ただ、『破局』の「私」とはちょっと違っていて、言うなれば VR みたいな感じというのが近いです。小説の中で「ふうか」がホラーゲームをすることからの感じ方もあるかも知れませんが、その「ふうか」自身がゲームの中の存在のようでもあります。
ゲームはやりませんのでまったく知識はないのですが、ネットなどから入ってくる細切れ情報で言えば、美少女育成シミュレーションゲームの少女のように感じるということです。と言っても、ふうかは成長しませんね…。よくわかりません(笑)。
とにかく、すべてがふわふわして実在感がないという意味では「浮遊」なのかも知れません。
現実との接点はゼロ…
ふうかは16歳高校生、20歳くらい年の離れた碧くんと暮しています。碧くんはアプリ制作会社の創業者で CEO です。ほとんど家で仕事をしているように書かれています。
ふうかと碧くんの関係も実在感のある描写はまったくなく、お互いに気を使っている関係の描写ばかりです。いや、描写という言葉も似つかわしくないような表面的な記述ばかりで、ふたりの具体的な関係もはっきり書かれているわけではありません。
そうしたところから育成シミュレーションゲームに感じるのかも知れません。もちろんふうかがゲームの中のキャラクターということです。
リビングルームのソファーにはワンピースを着た170cmくらいのマネキンが座っています。碧くんが数ヶ月前までつきあっていた紗季さんというアーティストの作品ということです。
そうした現実感のない日々とふうかがやるゲームの記述が並行して進みます。
このゲームの記述がまったくもっておもしろくありません。ゲームに興味のない私でもこんなゲームやろうとも思いません。違いますね(笑)、興味がないからであって、ゲーム好きには興味が持てるのかも知れません。
とにかく、ふうかとゲームがリンクしているようでもあるのですが、まあ仮にリンクしているとしてもそれでどうこうということもない話です(ゴメン…)。どちらも現実感ゼロの話なわけですから。
ゆがんだ性的欲望に慄いているのか…
この小説の主人公は表向きふうかになってはいますが、実は碧くんであり、ゲームの中の黒田じゃないかという気がしてきました。明確にそこまで考えられているかどうかはわかりませんが、どことなく「見られる少女」としてのふうかが書かれているように感じます。
言い方を変えますと、『破局』でもそうですが、自分の性的欲望がゆがんでいるのではないかと慄いている男が正しく生きなくてはいけないとその欲望を抑え込もうとあがいているような小説に感じます。
ふっと思いついたことを適当に書きました(ゴメン…)。
結局、つまらない小説だと思います。もう一冊『教育』を読んだら終わりにしようと思います。