2020年2月1日以来のさわやかウォーキングです。
JR関西線蟹江駅、過去記事を検索しますと3回目です。
ほぼ一年前の11月2日にほぼ同じコースを歩いています。
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コース
蟹江駅スタート
「かに丸くん」が出迎えてくれました。蟹江町のゆるキャラなんでしょう。
振り返って蟹江駅ですが、現在新駅舎建設中のようです。右の奥が現在の駅舎、来年1月から左の駅舎に移るようです。完成すると下のイラストのようになります。
昨年の写真を見てみましたらまだ骨組みの状態ですが2020年末供用開始になっていますので新型コロナウイルスのために少し遅れたのかも知れませんね。
駅前の通り、海抜 -0.8mだそうです。ゼロメートル地帯ですからね。
蟹江城址公園〜蟹江川〜甘強酒造
少し広めの通りから蟹江城址に入ります。
蟹江城址の手前に「蟹江町産業文化会館」という施設がありました。
入ってみましたら貸館ですね。
「蟹江合戦」についての説明が掲示してありましたが、内容がわかりにくいです。今、ウィキペディアで調べてみました。
蟹江城合戦は、天正12年(1584年)6月に起こった尾張国南西部における羽柴秀吉(豊臣秀吉)陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い。主に蟹江城における篭城戦であった。
秀吉と家康の小牧・長久手の戦い後の小競り合いですね。
蟹江城址の石碑があるのみです。戦の翌年1585年の地震で崩壊し廃城になったそうです。
本丸井戸跡。古地図が残っているとありますが、よくここだと特定できましたね。下に井戸(っぽいもの)がありますが、もちろん、らしく作ったものでしょう。
城址からの路地を堤防に上がります。
蟹江川。源流はどこかと調べていましたら、上流は大江用水につながっているくらいしかわからないのですが、下流は自然流では日光川に流れないらしくポンプで排水しているらしいです。蟹江川排水機場 – 愛知県 にそうあります。
蟹江神明社。蟹江川沿いにあります。
甘強酒造。旧本社事務所、国の登録文化財のようです。
甘強味醂(かんきょうみりん)旧本社事務所・工場・住宅主屋・住宅土蔵
こちらは家屋、同じく登録文化財。
甘強みりん、清酒四天王が主力製品なんですね。
甘強酒造のすぐ近くにある銭洗尾張弁財天冨吉神社。
蟹江川〜尾張温泉
蟹江川を西に渡ります。
蟹江町役場。「蟹」を前面に出したアピールをしています。蟹が獲れた入江の町だったということなんでしょう
尾張中央道かと思いますが広い通りに突き当たりましたらその先に尾張温泉街というアーチがあります。温泉街というほどのものはなさそうですが過去には何かあったんでしょうか。
一旦南に下りぐるりと回り尾張温泉方面に向かいます。
尾張温泉はこの尾張温泉かにえ病院の裏、佐屋川をはさんだ反対側にあるようです。
足湯かにえの郷。先程の尾張温泉街の通りはこのあたりにぶつかっています。
JR関西線、ちょうど電車が名古屋に向かって走っていきました。この先が蟹江駅です。
蟹江川のはね橋〜蟹江山龍照院〜蟹江駅ゴール
蟹江川沿いに戻ります。赤いはね橋が見えます。
蟹江町観光交流センター「祭人」。毎回、蟹蟹フェアとかをやっているのですが、いつもほとんど商品がなくなっています。
赤い橋を渡り、蟹江山龍照院へ。橋の向こうの建物あたりです。
神仏混淆ですかね。冨吉建速神社・八剱社があります。
本堂は撮っていないですね。この建物は国の重要文化財、十一面観世音菩薩像が安置されています。
これです。左下の朝乃山の写真があるのはここが名古屋場所の宿舎になっているようです。
はね橋、御葭橋(みよしばし)と名がついていました。須成祭のときには車楽船(だんじりぶね)を通すために跳ね上げられるとのことです。
ゴールのヨシヅヤが見えてきました。
ヨシヅヤ前の公園がゴールです。ここから駅までは線路沿いに進み跨線橋を渡り線路の南側に出て駅舎に入って再び駅内の跨線橋を渡って名古屋行きのホームに出るという面倒なことになります。新駅舎ができればそれも解消されるのでしょう。
駅内の跨線橋から名古屋方面。先にみえる跨線橋が公園から渡ってきた橋です。
駅のホームからすすきを撮ってみました。秋です。
久しぶりのさわやかウォーキング、約7.8km、お昼込みで約3時間でした。
いつもよりゆったり歩いたからなのか、逆に妙に疲れました。