2024年元日、長浜黒壁スクエア、琵琶湖

ここ数年、元日は岐阜金華山プチ登山を恒例としていたんですが、何本かあるコースを一通り制覇しましたので、今年は気分をかえて長浜に出掛けました。

名古屋〜米原〜長浜

名古屋9時31分発特別快速で米原へ行き、北陸線に乗り換えて金沢方面に3駅で長浜です。1時間40分です。北陸線は1時間に1本しかありません。

10時50分くらい、米原の北陸線のホームです。11時1分の近江塩津行きの新快速を待ちます。新幹線もある乗換駅ですので改札あたりはかなり混み合っていました。停まっている列車は金沢行きのしらさぎです。

近江塩津行きの列車が入ってきました。

11時10分長浜到着です。割と多くの人が降りていましたがどこへ行くのでしょう? 電光掲示版には次の近江塩津行きの列車が1時間後の12時11分と表示されています。

長浜駅東口、ペデストリアンデッキになっています。

振り返って長浜駅です。

長浜には何度か来ていますが、列車できたのは2度目だと思います。随分変わった印象です。

7年前の2017年の元日でした。やはりペデストリアンデッキはなかったですね。

黒壁スクエア

黒壁スクエアというのは、いわゆる駅前商店街(的…)の活性化に成功した事例だと思いますが、あらためてウィキペディアを読んでみましたら、計画から立ち上げがバブル期だったんですね。成功には立地条件などいろいろあるとは思いますが、バブル期に勢いに乗れたということもあるのでしょう。第三セクター「黒壁」の設立が1988年、1号館の黒壁ガラス館のオープンが1989年です。

長浜駅から徒歩5分くらいで黒壁スクエアに入ります。駅前通りから北国街道を見たところです。

黒壁ガラス館、旧第百三十銀行の長浜支店だった建物で、この建物の保存再生からプロジェクトが始まったということです。黒壁スクエアの中心となる建物でガラス製品の展示販売が行われています。この建物が黒壁1号館で現在は30号館まであるようです。

もともと長浜にガラス産業があったわけではなく、地場産業とバッティングしないものを選択したということらしいです。なかなかできない選択ですね。こういう決断が今の成功につながっているのかも知れません(想像です…)。

黒壁ガラス館を左手に見て大手門通りです。元日の営業は12時からのようでお店はどこも閉まっています。

大手門通りをぶつかって北に向かう大通寺の参道です。

参道の途中にあった雰囲気のある用水、米川とありました。

真宗大谷派別院大通寺

真宗大谷派の別院大通寺の山門、でかいです。

本堂、国の重要文化財指定です。もうひとつ隣にあった大広間という建物も同じく国の重要文化財だったようです。あまりそれっぽい感じがしませんでした(ペコリ)ので写真も撮っていません。

再び黒壁スクエア

大通寺を出て、うらくろ通りを西に向かっています。右側に三谷旅館とあります。

町家風の旅館で料金もお徳な感じでいいですね。一度長浜に一泊したことがありますが、知っていればここにしていたと思います。

曳山博物館、元日はお休みです。

再び黒壁ガラス館に戻り、北に北国街道です。北国街道(ほっこくかいどう)は、

中山道鳥居本宿の北の下矢倉(現在の彦根市下矢倉)で中山道から分岐し、琵琶湖の北東の米原宿、長浜町、木之本宿を経て、柳ケ瀬宿から山地に入り、椿坂宿、中河内宿から栃ノ木峠を越えて越前の虎杖宿に通じる

ウィキペディア

琵琶湖〜長浜駅

お昼も過ぎているのですが、さすがに元日ですので営業している店も少なく長蛇の列ですので黒壁スクエアを後にして琵琶湖に向かいます。長い地下道で北陸本線の下をくぐり、琵琶湖側に渡ります。

豊公園。天気は無茶苦茶いいのですが、さすがに冷たい風が北陸から流れ込みます。

長浜城の本丸跡地あたり、木々の向こうに見えるのは長浜城歴史博物館です。

琵琶湖。煙突はKBセーレンという合成繊維の会社の長浜工場のようです。

振り返って、長浜城歴史博物館。

5分ほどで長浜駅西口です。13時くらいです。結局食事できるところもなく、13時29分発米原行に乗りました。米原から大垣までは普通だったのですが、え?! なんで?! というくらいのこれがかなりの混みようでびっくりしました。

とにかく米原は乗換駅ということなんでしょう、米原に到着し、東海道線のホームに下りようとしましたら、ちょうど列車が到着したところでホームいっぱいになるくらいの混みようです。で、次の列車まで20分ほどありますので乗車位置に並んでいましたら、どんどんと人がホームに下りてきて溢れんばかりになっていました。始発駅ですので座ることができましたが、なにせ4両編成ですので通路にも人がいっぱい状態の大垣までの30分でした。

大きな荷物を持った若い人が多かったですので青春18きっぷで移動しているんでしょうか。とにかくちょっと驚きました。

令和6年能登半島地震

ということで、お昼抜きで家に戻りましたので、簡単に準備をして食べ始めたのは4時過ぎだった思います。

4時10分頃でした、テレビからは緊急地震速報が流れ、スマホも何やら叫び始めましたので、地震だ!と思い身構えていますと、しばらくしてズン、グラ、グラときました。テレビにはすぐに能登半島沖とでましたが、その割には揺れが大きく、しばらく箸を持った手が止まったままでした。

マグニチュード7.6、震度7の大地震でした。令和6年能登半島地震と呼ばれることになります。

NHKが、1月2日13時現在で30人の死者が確認されたと報じています。石川県の各被災市長は、まだ全容は把握できていないが壊滅的と話しています。

2024年、大変なスタートとなりました。