遠野遥著『教育』感想・レビュー・書評・ネタバレ

2020年に『破局』で芥川賞を受賞した遠野遥さんの受賞後一作目の『教育』です。すでに二作目の『浮遊』も読んでいます。

現実世界と接点のない言葉、文章…

受賞作の『破局』では今どきの才能を感じると書きましたが、その印象もかなり変わりつつあります。この『教育』は物語(があるとすれば…)は違いますがほぼ『破局』と同じです。

現実世界と接点のない言葉が最初から最後まで続きます。『破局』ではそれが新鮮であり、また、その裏返しとして気持ち悪くも感じたのですが、さすがに同じパターンですと丁寧に読んでいこうという気も失せます。

丁寧に読んでも端折って読んでも結局同じで、残るものはないだろうということです。

現実世界との接点のなさは『破局』よりもさらに進んでいます。この『教育』は完全閉鎖空間の学校が舞台ですので物語的にも現実世界との結びつきはありませんが、そういうことではなく、言葉、そして文章自体に生きている人間感覚がまるでありません。嘘っぽいということとも違い、脳内妄想という表現がより近いかも知れません。

『浮遊』では育成シミュレーションゲームのようだと書きましたが、この『教育』もゲーム内の話と考えれば、ああそうかもしれないと思えてきます。あるいは、想像できる範囲でのメタバースがこういうものかも知れないとも思います。

一日3回以上のオーガズム…?

物語の舞台は全寮制の高校(のようで…)、そこでは完全な管理体制が敷かれており、教員には絶対服従であり、上級生ということなのか成績による階級なのかははっきりしませんが、生徒間の上下関係が重要とされています。あらゆるところに監視カメラがあります。

文体が〈私〉の一人称記述である上に〈私〉には他者視点がありませんので、学校の全体像もわかりませんし、外界へ思いを馳せるのも、外では感染症が流行っているらしいという記述が後半にあるだけです。その学校で生徒たちが何を学んでいるのかもわかりません。

語られるのはセックスだけです。

この学校では、一日3回以上オーガズムに達すると成績が上がりやすいということらしく、生徒同士のセックスも推奨されており(ということだと思う…)、自慰行為用のポルノも支給されています。つまり、性的行為が現実世界の勉強と同じとして描かれているということです。目の前でセックスが行われていても誰も気にしません。

ただ、性的行為が具体的に描写されることはありません。

語られるのはセックスだけなのにその描写がないって、じゃあ何が書いてあるんだということになりますが、何なんでしょうね。〈私〉の日常生活、感情を持たない人間の日々、そんな感じでしょうか。感情表現を極限にまでカットした小説といえるかも知れません。

こうした設定の話を面白いと感じる人がそういるとも思えませんが、ただ、これがゲームであれば、あるいは〈私〉をメタバースの世界の自分と考えられるのであれば、案外楽しいと思う人がいるのかも知れません。

セックスをして成績を上げていくというゲームです。あるかも知れませんね。

コロナ禍の脳内妄想物語…

物語の主たる軸となっているのは〈私〉と真夏の関係ですが、それと言ってなにか進展するわけではありません。そもそもこの著者の小説には感情表現というものがありませんので、〈私〉と真夏の関係が変わっていくとしても、それを〈私〉がどう感じたかの表現がない以上、こうなりました、ああなりましたの事象でしかなくなります。

実際、小説の冒頭では〈私〉と真夏はセックスをする関係ですが、それはオーガズムを感じて成績を上げるための行為であり、真夏が演劇部の部長樋口に付き合って欲しいと言われたためにこれからはセックスできなくなると告げれば、ああそうかというだけです。

〈私〉には、真夏に対する愛とか、所有欲といったものを感じさせる表現がありません。ただ、真夏が〈私〉を頼ってくる記述はかなりありますし、〈私〉も真夏のことを気にしているようではあります。

その後真夏は〈私〉に樋口との関係がうまくいっていないと告白します。樋口が台本のあるセックスを求めてくると言います。二、三、例が記述されていましたが、レイプ演技もあったと思います。演じるセックスが苦痛だと言います。真夏はオーガズムを感じられなくなっているということですので成績が落ちていきます。

ということを聞いて〈私〉がなにかするわけではありません。という事象が語られていくだけです。ラストも〈私〉は進級しますが、真夏は落第したと語られ終わります。

意味不明な別物語…

真夏以外では〈私〉が所属している翻訳部の海との話や〈私〉が催眠部の未来からかけられる催眠にちょっとだけはまっていくようなことが語られていきます。

『破局』や『浮遊』でもありましたが、小説の本筋との関係がはっきりしない別物語が唐突に入ります。

〈私〉が催眠部の未来から催眠をかけるシーン、未来があなたはこうこうこうですと語るその語りがそのまま記述されているのです。〈私〉が催眠を体験するのでなく本筋の中に別物語として記述されています。

また、真夏が自分の書いた脚本が上演されるということで〈私〉が見に行きます。そのシーンでも〈私〉がそれを見て何を感じたかではなく、演じられる舞台の物語がそのまま別物語として記述されています。

そもそも感情というものを欠いている〈私〉ですから感じようがないということでしょうが、作者の意図がよくわかりませんし、早い話面白くありませんのですっ飛ばしてしまうことになります。

ページ稼ぎみたいな印象です。

『破局』『教育』『浮遊』と三冊読み、すっかり印象の変わってしまった遠野遥さんです。