5月の連休中の1日、徳川園へ牡丹を見に行きました。ややタイミングを逃したようです。ただ庭園の青々とした緑は森林浴の気分でした。
徳川園
結構観光地化してきていると思いますので今更ですが、
徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としています。
当時の敷地は約13万坪(約44ha)の広大さで、庭園内の泉水には16挺立の舟を浮かべたと言われています。光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られましたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となりました。
(徳川園)
昭和20年(1945年)の大空襲でほとんど焼失し、現在の状態に整備されたのは2004年です。もう22年になります。それまでは名古屋市の都市公園になっていました。


今回は東門、マップの右端から入りました。まるで森ですね。

マップのカラー部分は有料施設です。その黒枠に沿って徳川美術館の前を通ってマップ1番の黒門まで来ました。登録文化財です。明治33年(1900年)に完成した尾張徳川家の邸宅の遺構ということですので戦災による消失を免れたのでしょう。

「徳川園黒門てづくり市」が開かれています。
徳川園の緑
黒門口から庭園に入りました。マップに番号のついている箇所は下のリンク先に解説があります。

7番の「虎仙橋」は下の通路と交差しています。その横を流れる水路は6番の「虎の尾」というようです。

あたりを散策中の水路、カモがいます。

紫陽花でしょうか、早いですね。

8番の「大曽根の瀧」です。
徳川園の睡蓮


庭園の山をぐるりとまわり4番の「西湖堤」に出ました。睡蓮です。

4番の「西湖堤」、正面の建物は10番の「観仙楼」です。
徳川園の牡丹、芍薬かも

11番の牡丹園に来ました。やはりちょっと遅かったようです。

以下、9枚あります。時期的には牡丹じゃなく芍薬かも知れません。それにハイブリッド(牡丹×芍薬)なんてのもあるようです。









龍仙湖、龍門の瀧

3番の「龍仙湖」、西湖堤を反対側から見ています。手前のソテツ、冬には藁巻きという作業がおこなわれ、技術のいることのようです。

カキツバタかと思いましたが「イチハツ」というのかもしれません。

右の建物は10番の「観仙楼」、この日は結婚式の貸し切りでした。

「さざなみ石」表面が波紋状になっていることから名付けられているようです。

観仙楼の横にある2番の「龍門の瀧」です。
平成10年(1998年)に早稲田大学の敷地内で江戸時代の大規模な石組みが見つかりました。早稲田大学と新宿区教育委員会による発掘調査の結果、尾張家江戸下屋敷(戸山屋敷)にあった龍門の瀧の遺構であることが確認されました。発掘された石材は、伊豆石と呼ばれる安山岩で、総数約360個、総重量約250tに上り、江戸城築城の余り石と推定されています。徳川園では、早稲田大学から譲り受けたこれらの石材を滝の布落ちや護岸、河床、飛石などに用いるとともに、水量を急激に増す仕掛けを取り入れて、戸山屋敷の龍門の瀧を蘇らせました。
上の写真ではわかりにくいですので徳川園のサイトでご覧ください。四季折々の瀧が見られます。
ということで晩春から初夏へ移ろう徳川園でした。